ヘレン・マクロイ『家蠅とカナリア』

 蠅つながりでこの作品にも触れておこう。『家蠅とカナリア』(1942)は、ベイジル・ウィリング博士が登場する5作目の長編だ。創元文庫の邦訳は1965年のリプリント版に寄せられたアンソニー・バウチャーの序文も併せて載せているが、バウチャーの意見と同じく、一般にマクロイの代表作とされている『暗い鏡の中に』よりも本作のほうを高く評価したいところだ。というより、自分がマクロイの魅力に取りつかれたきっかけは本作だったといってもいい。
 これもストーリーの詳細は省くが、サルドゥー原作の『フェドーラ』の公演を控えた劇場の近くにある刃物研磨店に押し入った強盗が何も取らずにカナリアを鳥籠から逃がすという不思議な事件が起き、いよいよ開演した舞台では、衆人環視の中で大胆にも殺人が起きるという展開。家蠅の手がかりは現実には成り立たないという意見もあるらしいが、カナリアの手がかりは実に秀逸で、シンプルながらもその心理学的な手がかりの独創性に舌を巻いたのは今も忘れられない。
 シリーズ中でも、心理学上の専門知識を謎解きのファクターとして最も鮮明に応用し、精神科医探偵としてのウィリング博士がその個性を典型的に発揮した傑作としては、夢遊病をモチーフにした“The Man in the Moonlight”や、おそらくはミステリ史上初めて(心理学的意味での)多重人格をテーマにし、ドゥードゥルの分析やポルターガイスト現象などを取り上げた“Who’s Calling?”などのほうを推すべきかもしれない。しかし、『家蠅とカナリア』は、「犯人はなぜカナリアを籠から逃がしたのか?」というシンプルな謎の提示が独創的であり、そのシンプルさゆえに解決の鮮やかさが一段と際立っているし、専門的な知識のない読者でも腹に落ちる分かりやすさがある。
 後期作品ではサスペンスものを中心に書くようになった作風からも窺えるように、ストーリーを盛り上げるサスペンスフルな描写の巧みさもマクロイの特長の一つで、本作でもクライマックスでは緊張感の高い見せ場を演出している。さらに、マクロイのミステリでもう一つ特筆すべきは、容疑者の範囲の狭さだ。黄金期の作家の作品には、読者を惑わすために容疑者の数をやたらと水増しし、名前を覚えるのも一苦労するような例も多いのだが、マクロイはそんなことをしない。容疑者一人ひとりの性格やアリバイなどをじっくり検討しながら謎解きの楽しみを味わうことができる反面、見抜かれるリスクもそれだけ高いわけだが、彼女の作品は、綿密でツイストの効いたプロット構築によってしばしば読者を出し抜くだけの高い水準を保っている。
 “1001 Midnights”で本作を取り上げているロバート・E・ブライニーは、「古典的なフェアプレイ探偵小説の典型的見本」とし、ジグソーパズルのピースを当て嵌めるように手がかりがぴたりとまとまる複雑な構成を称賛して、『暗い鏡の中に』と並んで傑作を意味するアスタリスクを付しているが、これは本作だけではなく、マクロイの他の作品にもしばしば当てはまる評価と言えるだろう。
 サルドゥーの戯曲『フェドーラ』は、今日ではほとんど忘れられた作品かもしれないが、男装を好んだ往年の大女優、サラ・ベルナールが舞台で着用した中折れ帽子は、欧米では今日でも「フェドーラ」と呼ばれ、その名を残している。
 私の所有している原書はウィリアム・モロウ社の米初版だが、原題は“Cue for Murder”でも、ダスト・ジャケットのデザインは邦題と同じく家蠅とカナリアをモチーフにしている。シンプルだが素敵なデザインだ。


Cue for Murder
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