ナイオ・マーシュ “Death at the Dolphin”

 “Death at the Dolphin”(1966)は、ロデリック・アレン警視の登場する長編。

 脚本家のペレグリン・ジェイは、大戦時の空襲で破壊され、荒れるままに放置されていた「ドルフィン劇場」にやってくる。ジェイは、管理の事務員に頼んで鍵を借り、賑わっていた戦前を懐かしみながら劇場内を見ているうちに、事務員に警告されていたにもかかわらず、汚水の溜まった穴にうっかり落ちてしまい、溺れそうになる。必死で助けを求めると、六十歳くらいの男がやってきて助け上げてくれ、風呂に入って着替えたらいいと、外に待たせてあった車にジェイを乗せて自分の邸に連れて行く。
 男は富豪のヴァシリー・コンデューシスで、自分が「ドルフィン劇場」の現在の所有者であることを打ち明ける。コンデューシスは、時代物の子供用手袋をジェイに見せる。手袋には二枚の古い手紙も付属していて、そこには、手袋が、シェークスピアの息子、ハムネットの十一歳の誕生日プレゼントとして、その祖父が作った手袋だという由来の説明があった。コンデューシスは、その遺品を六年前に事故を起こしたヨット航海の際に入手したのだという。
 後日、ジェイが、友人で舞台装置家のジェレミー・ジョーンズにそのエピソードを話していると、コンデューシスの秘書から、代理人の弁護士に会ってほしいという手紙が届く。弁護士は、コンデューシスからの提案を告げる。それは、ジェイが「ドルフィン劇場」の運営を引き受けるのなら、劇場を取り壊す予定を変更し、再建するのに資金を出してもいいという提案だった。弁護士はさらに、手袋の真正性を証明するために手を貸してほしいというコンデューシスからの依頼を告げる。
 ジェイはコンデューシスから預かった手袋と手紙を専門家の鑑定に委ねるが、はたして手袋は本物だという裏付けを得る。ジェイは、手袋のエピソードを題材にした脚本を書いて上演することとし、本物の手袋を劇の観客が鑑賞できるように劇場のホワイエに展示することとした。
 コンデューシスは、手袋の展示に当たって、知り合いのアレン警視を招き、警備の指導監督を依頼する。アレンは、展示ケースの錠前の組み合わせ数字がすぐに見抜かれそうなことに気づき、変更するようにマネージャーのモリスに忠告するが、モリスは変更を怠る。ジェイの劇作品は批評家の受けもよく、ロングランを続けるヒット作となる。
 ところが、コンデューシスは、手袋をアメリカの個人コレクターに売却することを決め、そのことをジェイに告げる。その矢先、芝居がはねて、ジェイや役者たちが劇場を出たあとに事件が起きる。何者かが手袋を盗もうと試み、ジョビンズという警備員が真鍮製のイルカの置き物で撲殺され、劇場内にこっそり残っていたずらをしていたらしい、ハムネット役のトレヴァー少年も襲撃され、意識不明の重体となってしまう・・・。

 作品に登場する手袋と手紙は無論架空のものだが、題材とされているハムネットは、11歳で夭折したシェークスピアの長男で、「ハムレット」の構想にその死が影響していると考える学者もいるようだ。
 演劇分野での功績も目覚ましかったマーシュは、演劇に取材したり、劇場を舞台にした作品を好んで書いた。本書第五章の冒頭で、アレンにとって役者が絡む事件の捜査は過去に四度あったという言及が出てくるが、おそらく、『殺人者登場』(1935)、“Final Curtain”(1947)、『ヴァルカン劇場の夜』(1951)、“False Scent”(1959)を指すのだろう。遺作“Light Thickens”(1982)も劇場を舞台にした作品だし、ほかにも主な舞台とならぬまでも演劇が関係する作品が幾つかある。
 本作は、こうした作品の中でも演劇に対するマーシュの愛情が最も色濃く表れた作品と言えるだろう。事件は作品の半ばに至るまで起きず、マーシュは役者たちの関係も交えながら、シェークスピアを題材にしたジェイの演劇が実現していくプロセスをじっくりと描いていく。謎解きを期待する読者にとっては、事件らしい事件がすぐに起きないことにいら立ちを感じるかもしれないが、作者が情熱を傾けただけのことはあって、ストーリーとしてもなかなか読ませるし、アレン警視らの捜査はほぼ後半に描かれるため、関係者への尋問シーンが比較的短く、初期作品にしばしば見られる退屈さを免れている。
 謎解きのプロットとしては、さほど見るべきものはないのだが、充実した舞台背景の描写やストーリー・テリングを評価されてか、本作は1967年にアメリカ推理作家協会(MWA)の最優秀長編賞の候補に挙がっている。マーシュの後期代表作の一つと言えるだろう。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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