ジョン・バカン『三十九階段』

 バカンの『三十九階段』が刊行されたのは1915年。ちょうど百年前だ。一世紀が経つというのに、本作は今なおエスピオナージュの古典として評価が高い。『アメリカ探偵作家クラブが選んだミステリBEST100』(1995)では第22位に選ばれているし、『書店のイチ押し! 海外ミステリ特選100』(2000)にも選ばれ、そこでも「この古典的スパイ小説は、一世紀近く経った今日でも楽しめる」と評されている。
 確かに今読んでもそれなりに楽しめる作品であることを否定するつもりはないのだが、ル・カレ、フォレットといった現代の作家達の作品に馴染んできた読者にしてみると、設定も背景も古臭いし、ストーリー展開も些か荒唐無稽で絵空事めいている印象をどうにも拭いきれないのではないだろうか。ストーリーの半分近くは、スコットランドでの逃避行に充てられ、その展開自体が長ったらしくじれったいし、主人公のハネーがたった一人で警察や敵のエージェントに追われながら、いくら機転を働かせようと、こうもうまく逃げ切れるものかと次第に苦笑を禁じ得なくなってくる。敵の首魁が海軍大臣に化けて会議に出席しながら、同席者の誰も気づかず、堂々と出て行くというのも、おいおいちょっと待てよ、と言いたくなる。
 やはり、この作品にしても、かくも長い寿命を保ち続けてきた最大の理由は、ヒッチコックによる映画化作品「三十九夜」(1935)によるところが大きいと見るべきだろう(邦題が原作と映画で若干異なるが、原題は同じ“The Thirty-Nine Steps”)。もちろん、原作の発表当時は時流に即したスパイ小説として高い評価を受けたのだろうし、ヴァン・ダインも「推理小説論」(1927)で(まるで他の探偵小説と同ジャンルのように扱っているが)一定の評価を与えているものの、厳しい言い方をすれば、ヒッチコックの映画がなければ時の経過とともに忘却されたとしても不思議ではなかっただろう。
 これは、イアン・フレミングの007シリーズなどと同様の現象で、時の経過とともに原作の内容がいかに古臭くなろうと、ムーンレイカーがただのミサイルからスペースシャトルに化けてしまうように、映画というカンフル剤を打たれることによって寿命を保ち、これに後押しされて読み継がれていくのと似ている。
 ヒッチコックは、例によってこの巨匠らしく、原作はあくまでただの素材として活用しているだけで、ストーリー展開はすっかり変えてしまっている。ヒッチコックも、スコットランドでの逃避行をさすがにくどいと感じたのか、さらりと描くだけでばっさり端折ってしまっているし、スカッダーという、原作でハネーに情報を伝えて殺される男は、アナベラという女性に差し替えられている。さらには、パメラという、原作には全く該当するキャラクターのいない女性をハネーのパートナーとして登場させ、ハネーと手錠でつながせるなどして掛け合いを演じさせることでストーリーを盛り上げている。ヒッチコックの映画も確かに古いのだが、原作よりもずっと生気に溢れているし、展開に起伏があって楽しめるのだ。そもそも、「三十九階段」というタイトルの意味自体が、原作と映画では全く違っているし、この二つは別物だといっそ言いたいくらいだ。
 クライマックスの劇場シーンは、映画の完全なオリジナルであり、劇場のような衆人環視の場でパニックを引き起こす場面設定は、「知りすぎていた男」をはじめ、ヒッチコックが得意とした演出といえるだろう。本作に関しても、原作よりも、まずは映画を先にお勧めしたいところだ。
 余談ながら、のちに、デビッド・リーン監督の「インドへの道」(1984)でアカデミー助演女優賞の最年長受賞記録を塗り替えたペギー・アシュクロフトが、小作人の妻の役で出ているのが注目される。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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