チャールズ・ディケンズ『荒涼館』

 言わずと知れたイギリスの文豪、チャールズ・ディケンズは、『白衣の女』、『月長石』の作者、ウィルキー・コリンズの親友でもあったし、ミステリにも深い関心を持っていた。ポーが連載当初にプロットを見抜いて著者を感心させたという『バーナビー・ラッジ』、未完の遺作『エドウィン・ドルードの謎』(最近、白水社から新刊が出た)も、ミステリ・ファンの間ではよく知られている。
 『荒涼館』(1853)は、ドストエフスキーの『罪と罰』、フォークナーの『墓地への侵入者』と並んで、文学作品でありながら、ミステリ・ファンからも言及される頻度の高い作品の一つだろう。ヘイクラフト=クイーンの名作表にも選ばれているし、ケイト・スタイン編“Book of List”(第二版:1995)では、ロバート・バーナード、レジナルド・ヒル、マイケル・マローンがベストテンの一つに選んでいて、まるで純粋なミステリかと見紛うほどだ。特に、文学の虫に取りつかれることなく、商売人は商売人らしくまっとうで立派な商売をすればいいとわきまえていたことが、アガサ・クリスティが世界的な大衆作家として成功した理由だったと『欺しの天才』で論じたはずのロバート・バーナードが、本作やジェーン・オースティンの『エマ』を選んでいるのには些か苦笑させられる。
 『荒涼館』は、ちくま文庫で全4巻という長大さにややたじろぐ面もあるが、決して重厚で堅苦しい文学ではなく、ディケンズらしい、魅力的な登場人物がたくさん出てくる、肩の凝らない楽しい作品だ。文学作品としてならいろんな切り口もあるだろうし、そうした議論なら、文庫の解説も含めて多数あるだろうから、ここでは、当ブログの趣旨に即して、あくまでミステリとしての視点で魅力を語りたい。
 ヴァン・ダインは、「推理小説論」の中で、「この小説でもって、英国は近代推理小説に最初の本格的寄与をした」(井上勇訳)とまで述べているが、彼も指摘しているように、やはり最も重要な寄与は、本作に登場するバケット警部の存在だろう。ヒロインであるエスタの出生の秘密に絡んで発生した、タルキングホーン弁護士の殺害事件を捜査する警部だが、決して主役ではなく、数多く登場する脇役の一人にすぎない。第二十二章、文庫で言えば第2巻で登場し、その後もしばしば顔を出すが、本格的に物語の前面に出てくるのは、事件発生後の第四十九章、文庫で言えば第3巻の終わりぐらいからだ。
 家庭の団欒を大切にし、自分には子どもがいないが、大変な子ども好きという優しい面を持ちながら、何もかも見抜くような洞察力を持ち、犯罪者も恐れる呪術的な人差し指の動きを見せるという、辣腕の警部の人間像をディケンズは入念に描き込み、その人物造形には、その後の探偵小説の名探偵たちの原型が集約しているようなところがある。デッドロック準男爵の面前で、タルキングホーン殺害事件の謎解きをして真犯人を名指しする場面や、事件解決後も、エスタの実の母親、レディ・デッドロックの行方を粘り強く追い続ける姿は、天才型、努力型それぞれの探偵像を先取りしているかのようだ。
 アガサ・クリスティもディケンズの愛読者で、この『荒涼館』をとりわけ好み、脚本化しようと考えたこともあったが、登場人物が多すぎて、魅力的な人物を多数カットしなくてはいけないと気づいてあきらめたという。だが、ディケンズ原作、クリスティ脚色の『荒涼館』を観てみたかったと思うのは、きっと私だけではないだろう。
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