エルスペス・ハクスリー“Death of an Aryan”

 “Death of an Aryan”(米題:The African Poison Murders)(1939)は、ヴェイチェル警視の登場する最後の長編である。

 舞台は東アフリカの町、クルナ。第二次大戦の前夜、チャニア警察のヴェイチェル警視は、クラブで出会ったジャニス・ウェスト夫人の招きで、農場を持つデニス・ウェストの家に行く。ウェストは隣人のカール・マンスンのことでヴェイチェルに相談をする。実はマンスンこそ、ナチスの地方支部の大物であり、ヴェイチェルは彼を調査するためにその地に来ていたのだった。
 ウェストの話によれば、マンスンは自分の畜牛を隣の農場に侵入させて作物を荒らしたり、隣家の一人、アンスティの使用人を虐待して死に至らしめるなど、理不尽なふるまいが問題になっていた。
 最近、マンスンの畜牛が毒を盛られて死ぬという事件が起き、マンスンはウェストの仕業だと非難していたが、その後、ウェスト家の周囲を何者かが徘徊しているらしい様子があり、ジャニスが育てていたヒエンソウがナイフで花を切り取られるという事件が起きていた。ヴェイチェルがジャニスと話している間に、ウェスト夫妻が飼っているセッター犬が四肢を切断されるという事件が起きる。
 ヴェイチェルはマンスンを訪ねるが、マンスンは自分の雌牛が毒を盛られた事件を調べようともしないくせに、自分が犬の足を切断したと疑っていると激しく難じる。マンスンの家には、妻と二人の子どものほか、甥のエドワード・コーコラン、子どもの家庭教師のミス・アニータ・アダムスがいた。アニータは、一週間前に自分の飼っていた鳩が首を切断される事件があったことをヴェイチェルに告げる。いずれも同一犯の仕業のように思われた。
 翌朝、マンスンが除虫菊の乾燥小屋で死んでいるのを使用人が発見する。マンスンの死体には暴行の跡はなく、争った形跡もなかった。エドワードは、マンスンが閉め切った小屋に入って、充満していた火鉢の煙のせいで窒息死したと考えていたが、マンスン夫人は、夫は毒殺されたと主張する・・・。

 ハクスリー自身の体験に裏打ちされたアフリカの舞台背景描写は、本作でもさすがに生き生きとしていて興味深い。野生動物に囲まれた大自然の中で暮らす人々の姿が目に浮かぶようで、 “Fifty Classics of Crime Fiction 1900-1950”の一つに本作を選んだバーザンとテイラーもこの点を特筆している。‘askari(兵士)’、‘bwana(主人)’といった、作中で頻出するスワヒリ語も、生活体験の中で身近に接した表現だろうし、取って付けた感がなく、臨場感を醸し出す自然さがある。ナチスの存在が色濃く影を落としている点も時代を感じさせるところだろう。なお、“1001 Midnights”にも本作が選ばれていて、マーク・ジョンスンが評を書いている。
 矢毒の謎、動機の謎など、ちょっとした注目点はあるが、それほど独創性のあるものではなく、むしろ期待を膨らませて読むと肩すかしを食らわされるかもしれない。バーザンとテイラーも、“A Catalogue of Crime”では、犯人の正体は「期待外れ」だとやや厳しめの評価をしている。
 ただ、ジョンスンも述べているように、残虐行為の黒幕と思われていたマンスンが殺され、さらには、彼と不仲だったウェストも殺害されるに及んで、ウェスト夫人が容疑者に浮上してくる展開はなかなか面白い。ミステリとしての出来栄えは、前作『サファリ殺人事件』を上回ると言っていいだろう。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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