クリスティ『複数の時計』の謎の作家たち

 『複数の時計』第13章は、アガサ・クリスティがポアロの口に仮託して同業作家たちを論じたことでよく知られている(その他の章でもジョン・ディクスン・カーやチェスタトンの名に言及している)。
 なかなか興味深い作家評ではあるのだが、一部の作家については意図的に仮名を使っていて、実際に誰を指すのか、すぐには分からないようになっている。名前を順に挙げると、アリアドニ・オリヴァー、シリル・クェイン、ギャリイ・グレグスン、フローレンス・エルクス、ルイーザ・オマリイ、アーサー・コナン・ドイルだ。
 そのほか、『リーヴェンワース事件』、『アルセーヌ・ルパンの冒険』、『黄色い部屋の謎』といった作品への言及もあるが、これらはそのまま実際のタイトルを挙げて論じている。アンナ・キャサリン・グリーン、モーリス・ルブラン、ガストン・ルルー、そして、コナン・ドイルは、いずれも当時、既に物故していた作家だが、おそらく、仮名で論じたそれ以外の作家たちは当時存命中の人たちであり、遠慮があったということなのだろう(カーは密室ものの巨匠として簡単に触れられているだけなので、憚りがなかったということか)。それとも、ただのいたずら心の表れだったのだろうか。
 これらの仮名作家たちが実際は誰を指すのか、クリスティ・ファンの間でもいろいろ議論があるようだ。
 アリアドニ・オリヴァーは、他の作品にも登場する準シリーズ・キャラクター的存在であり、クリスティ自身を指すのはほぼ確実。彼女が創造した探偵、フィンランド人のスヴン・ヤルセンについて、オリヴァー夫人はフィンランドといってもシベリウスのことしか知らないはずだと揶揄されているのは、ベルギー人のポアロにうんざりし始めていた自分自身を戯画的に評したものであろうことは、『欺しの天才』でロバート・バーナードも指摘しているところだ。
 シリル・クェインは、時刻表を駆使するアリバイの巨匠という説明からしても、フリーマン・ウィルズ・クロフツであることはほぼ確実。
 ギャリイ・グレグスンは、スリラーものの多作家という説明からして、エドガー・ウォーレスを指すとみていい。
 このあたりまでは、ファンの間でもほぼ異論のないところだろう。問題は、残り二人のアメリカ人女性作家だ。
 ジョン・カランは、“Agatha Christie’s Murder in Making”(2011)の中で、ルイーザ・オマリイは、ニューヨークの褐色砂岩の邸宅への言及からして、エリザベス・デイリイであり、フローレンス・エルクスは、特定が難しいが、おそらくマーガレット・ミラーではないかと推測している(浴びるほどの酒という言及は、ミラーには当てはまらないと留保をつけているが)。もっとも、カランは、ギャリイ・グレグスンとオリヴァー夫人を架空の作家だとしているのだが。
 オマリイ、デイリイは、いずれもアイルランド系の響きの名前ということもあり、ファンの間でもこの推測を支持する向きがあるようだ。エルクス=ミラーについては、カランは、1974年のインタビューでクリスティがミラーを称賛していることを根拠の一つに挙げているが、実際、1966年のインタビュー(『名探偵読本3 ポアロとミス・マープル』パシフィカ刊140頁)でも、デイリイとミラーを称賛していることからしても、その可能性は高いだろう。
 言うまでもなく、エリザベス・デイリイは、クリスティのお気に入りの作家として知られ、実際、1973年に「マイケル・パーキンソンの告白アルバム」に寄せた回答でも、「好きな作家」としてグレアム・グリーンと並んでデイリイの名を挙げている(『アガサ・クリスティー生誕100年記念ブック』早川書房刊21頁)。
 とはいえ、フローレンス・エルクスの候補としてクレイグ・ライス(酒への言及はライスのほうがふさわしい)、ルイーザ・オマリイの候補としてヘレン・マクロイの名を挙げる人もいるようだし、決定的な答えはそう簡単には出せないようだ。
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