『あなたは誰?』翻訳裏話――訳注は最小限に(未読の方はネタバレ注意)

 『あなたは誰?』の翻訳にあたっては、編集者の藤原氏とのやりとりの中で学ぶことが本当に多かった。例えば、訳注の扱い方がそうだ。ROM叢書で訳した『オシリスの眼』や『キャッツ・アイ』は、歴史の知識がある程度前提にないと理解が難しいところもあり、けっこうこまめに訳注を入れたし、解説でも説明をかなり書き込んだものだ。その癖を引きずったせいもあってか、『あなたは誰?』でも、当初はけっこう細かい訳注をあちこちに入れていた。すると、藤原氏から訳注は最小限にしたほうがいいとのご助言があり、これは改めて眺めてみて、そのとおりだと思ったものだ。
 なにしろ、得意の分野の言葉などが出てくると、つい嬉々として細かい訳注を入れたくなるのは人情というもの。これはまったく自分の身勝手な癖にすぎないのだが、やっているうちは自覚がないものだ(笑)。例えば、ホール=ミルズ殺人事件などと出てくると、すわこそとばかりに事件の顛末を細々と訳注で入れてしまったのだが、改めてよくよく見ると、それだけでストーリーになるくらいの訳注。学術書ではあるまいし、小説で長々と訳注が入っていると、かえって煩わしい。さらに言えば、最初は「ジョー・ディマジオ」にも訳注を入れていたのだが、マリリン・モンローの夫でもあった著名な大リーガーにまで説明を加えるのはほとんど蛇足というものだろう。そんなこんなで見直して、訳注を簡略化したり省いたおかげで、随分と流れがスムーズになったと感じている。
 自分でも最初から諦めて入れなかった訳注もけっこうあるのだが、そんな言葉や固有名詞をあとがきであれこれ解説するのも、これまた煩雑。結局説明しないまま終わり、ちょっと心残りになっている言葉も実はあったりする。そこで、そんな言葉の解説を、余談ということで、少しばかりここで補足してみたい。もちろん、こんなのをいちいち訳注で入れていたら、「うざい!」と思われた読者が多かったに違いない(笑)。
 犬のターは、ター・ベビー(Tar Baby)と呼ばれているが、これはジョエル・チャンドラー・ハリスというアメリカ南部出身の作家が1881年に編纂した民話「アンクル・リーマス」に登場する、タールの塊で出来た人形の名に由来する。ブラー・ラビットといういたずら者のうさぎが、罠で仕掛けられたタール人形にまんまと引っかかり、タールがくっついて離れなくなってしまうのだが、機知を働かせて抜け出すというストーリーだ。ここから転じて、「ター・ベビー」は、抜き差しならぬ泥沼状態や、くっついて離れないものを表したりもする。しつこくつきまとって離れようとしない子犬(もちろん黒い犬だ)をその名で呼んでいるのは、こうした背景が分かると理解しやすいだろう。
 フリーダが借りた部屋にはコマドリ(コック・ロビン)とスズメを描いた刺繍が飾られているが、言うまでもなく、これはマザー・グースの歌をモチーフにしたもので、ヴァン・ダインの『僧正殺人事件』やエリザベス・フェラーズの『私が見たと蠅は言う』、最近新訳が出たフィルポッツの『だれがコマドリを殺したのか?』など、これを題材にした推理小説も幾つかある。さりげなく触れられているので、気づかずに過ぎてしまいそうだが、この刺繍、おそらくはスズメがコマドリを弓矢で射殺す場面が描かれているのではないだろうか。マクロイがいたずら気を起こして、ここにひそかに暗示を採り入れたと考えるのは穿ちすぎの見方だろうか・・・。
 本作で心理学の知識が縦横に駆使されていることはあとがきでも述べたが、実はこれと並んで人類学の知識もプロット上、重要な役割を演じている。もともと入れるつもりだった訳注を省いただけでなく、ネタバレに限りなく近づきそうなのに気づき、敢えてあとがきでも触れなかったのだが。
 「類感呪術」という言葉がフリーダのカリカチュアの文脈で出てくるが、これは「感染呪術」と並んでジェイムズ・フレイザーが造った術語で、その著『金枝篇』の「第三章 共感呪術」において詳しく論じられている(完全版の第一巻)。簡単に言えば、相手に似た像を傷つけたり破壊することでその人間を傷つけたり殺そうと試みるのが「類感呪術」、毛髪や爪など、体から分離したものを通じて元の持ち主に影響を及ぼそうと試みるのが「感染呪術」だ。そのことに気づくと、実はこれが重要な手がかりであることが分かってくる(ウィリング博士は謎解きで説明してはいないのだが)。博覧強記のマクロイらしいが、この点について訳注を入れるのは、単に煩雑というだけでなく、かえって親切すぎてネタ割れを促しかねないし、省いてよかったと今は思っている。文化人類学の知識があれば気づく人もいるだろうし、それで解決を洞察できたら、その人にとってもご満悦というものだろう(笑)。(なお、同じ文脈で出てくる「ポペット」については、“Alias Basil Willing”にも出てくる。やはり呪詛の手段としてだ。)
 『金枝篇』の邦訳は、ちくま学芸文庫から1890年の初版からの翻訳が出ていて、これは文庫で上下二巻。フレイザーはその後、増補を繰り返し、1915年までに12巻に膨れ上がり、1936年に補遺を追加した最終版は原書で全13巻という大著となった。完全版の翻訳は、現在、国書刊行会から順次刊行中であり、別巻含め10巻を超えるものになる予定らしい。岩波文庫から全5巻で出ている翻訳は1922年刊の簡約本の訳である。リンゼイ上院議員は20代の頃から読み始めたというから、手にしていたのはおそらく浩瀚な1915年版ではないだろうか。議員のみならず、途中で挫折した人はきっとたくさんいるに違いない(笑)。
 心理学、人類学に加えて、マクロイは哲学にも造詣が深かったようだ。フランスの哲学者、アンリ・ルイ・ベルクソンの『笑い』の引用については、(たまたま自分の手元にあったためでもあるが)白水社の『ベルグソン全集』(今は「ベルクソン」と表記されることが多い)の旧訳から訳文をお借りしたのだが、実は白水社からは別の訳者による新訳が出ている。敢えて旧訳を使わせていただいたのは、新訳では肝心の言葉を「塩基性の泡」と訳しているからだ。これはいけない。「塩を基にした」と「塩基性」では意味が全く違ってしまう。原文は‘saline’。『笑い』のフランス語原文では、‘une mousse base de sel’。そんなわけで、新訳の表現はお借りしたくてもできなかったのだ。(ちなみに、岩波文庫の林達夫訳では「塩分を含んだ泡」) ベルクソンの著作は、最近、ちくま学芸文庫からも続々と新訳が出ているので、『笑い』もいずれ同文庫から出るかもしれない。ちなみに、マクロイはソルボンヌ大学に在学していたことがあるし、ベルクソンの著書にも親しんでいたのだろう。私も『創造的進化』をはじめ、ベルクソンの著書には学生時代から親しんできたせいか、本当はたっぷり訳注を入れたくて仕方なかった。残念!(笑)
 そのほか、サルペトリエール学派とナンシー学派の論争なども、本筋とは何の関係もないのに、つい訳注で詳しく解説したくなったものだが、知らない言葉が出てきたら自ら調べるのも読書の楽しみというものだろう。マクロイ自身も語っているように、省けるものはすべて省くに越したことはないようだ。
 それにしても、一冊の本を仕上げるというのは、本当に多くの方々の共同作業によるものなのだということを、今回の経験を通じて改めて実感したように思う。編集者の方、装丁担当の方、装画担当の方をはじめ、本が形になるまでのプロセスに関わった方々のご尽力に思いを致すと、翻訳を担当した自分の役割など、実は全体のほんのごく一部にすぎないのではないかとすら思えるほどだ。余談ながら、雰囲気をうまく醸し出した素敵な装丁を拝見した時は、なにやらお株を奪われたような気分になったほどである。
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