脱線の余談――マクロイ『あなたは誰?』の叙述テクニック(未読の方はネタバレ注意)

※この記事では、マクロイの『あなたは誰?』と『殺す者と殺される者』のプロットの詳細に触れていますので、未読の方はご注意ください。


 一冊の本をどう評価するかは人それぞれで、ある人が傑作と絶賛したものを別の人が駄作と貶すことなど珍しくはないし、いろんな人の感想や書評を見ると、これほど様々な見方ができるものかと感心するのは、私だけの経験ではあるまい。他の方々の書評や感想を読んで、自分が必ずしも認識していなかったポイントを鋭く見抜いているのに気づいて感心することはもちろん少なくないが、自分自身が訳したというのに、マクロイの『あなたは誰?』についてもそんな経験をすると、さすがにちょっと情けなくなる。余談ながら、今回はそんな話をしてみたい。
 その書評とは、バルドゥイン・グロラー『探偵ダゴベルトの功績と冒険』の翻訳者でもある、垂野創一郎氏の書評だ。垂野氏は、「犯人捜し以上に魅力的な謎」として、「無意識の領域にあるため、その人自身も自分がそうだと気づいていない」精神的特質のゆえに、「その登場人物に関しては内面描写として何を書いてもアンフェアにならない」という叙述トリックの側面を指摘している。似たような指摘をしている感想はほかにもあったが、気づいた限りでは、垂野氏が一番うまく指摘しておられるように思う。
 その結果、容疑者のほとんどが、自分自身が犯人ではないかと疑うという驚くべき状況が出現することになるのだが、私自身、そのことに気づいていなかったわけではないものの、それがプロットとして巧妙に応用されていることの意義を十分に認識していたとは言い難かったように思う。
 そのことに気づくと、マクロイはこの叙述トリックの有効性を『あなたは誰?』で認識し、『殺す者と殺される者』でこれをプロットとしてさらに深化させようと試みたのではないかと思えてきたのだ。叙述トリックと言えば、誰もが真っ先に思い出すのは、某英国作家の有名作品だろうが、マクロイは、この作品の「信頼できない語り手」が故意に事実を隠す叙述がアンフェアという批判を浴びている事実を踏まえ、得意の心理学的手法に基づき、「自分自身を必ずしも知らない語り手」という存在を据えることで、この問題点をクリアできる叙述トリックを用いたプロットに挑戦したと見ることができるように思える。その意味で、『殺す者と殺される者』は、『あなたは誰?』の一種の発展形であり、某作品にチャレンジした作品と見ることもできるだろう。
 そう言われてみれば、確かに、『殺す者と殺される者』には、某作品を意識したのではと思える語り手のセリフがあちこちにあることにも気づく。例えば、邦訳282頁の「ついにこの回想録も終わりに近づいた。それにしても、こんな終わりかたになるとは! ウィルダーネス・ハウスで退屈しのぎにこれを書きはじめたときは、まさかこうなるとは思ってもみなかった」(務台夏子訳)というセリフなどは、まさに某作品の最終章に酷似してはいないだろうか。あえてそっくりの書き方をすることで、この作品が某作品に挑戦したものであることを読者に暗示しようとしたのではないかとすら思えるほどだ。
 そう考えると、あくまでサスペンスに分類されると思っていた『殺す者と殺される者』も、実は謎解きのジャンルにカウントされるべき作品だったのかもしれないと認識を改めざるを得ないようにも思えてくる。マクロイは、作品をつぶさに調べれば調べるほど、奥深い作者のたくらみが見えてくるようなところがあるから、本当に要注意の作家だ。

追記:以前の記事で、マクロイの作品に出てくる二重人格について、「作品間で説明に矛盾があるのが気になるところ」と書いたことがあるが、上記のポイントに気づくことで、その謎も解けたように思える。
 『あなたは誰?』では、ウィリング博士は、フランスの心理学者、ピエール・ジャネの実験記録を引き合いに出し、「副人格が常に知的に活動」していて、「主人格が支配しているときでも、副人格は水面下で活動している」と述べている。実際、同作で描かれる二重人格は、その説明のとおりなのだが、『殺す者と殺される者』では、主人格と副人格はそれぞれ相手が目覚めている時は眠っていて、その間の記憶はないように描かれている。このため、『殺す者と殺される者』で描かれる二重人格は『あなたは誰?』の説明と矛盾してはいないかとずっと思っていた。(ちなみに、ジャネによるレオニー=レオンティンの研究については、『殺す者と殺される者』にも言及が出てくる(邦訳232頁)。ただ、邦訳はジャネがフランス人の医師であることを確認しなかったのか、「ジャネット」と英語式に表記して、まるで女性の名のようになっているが。)
 もちろん、実際には、二重人格の症例には様々なバリエーションがあり、いずれも現実の症例としてあり得るようだし、ウィリング博士は、ポルターガイストの行動から分析して、ジャネが描写した症例と同様の二重人格と判断したということなのだろう。従って、どちらかが間違っているというものではない。
 いずれにせよ、マクロイが『殺す者と殺される者』において、某作品を意識して二重人格を用いた叙述トリックを試みたのだとすれば、これは不可避の変更だったと言える。マクロイは、そうした矛盾を冒してでも、叙述トリックの新機軸に挑戦したかったのではなかろうか。
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