『二人のウィリング』翻訳裏話――名前も意味深

 『二人のウィリング』を訳していて、妙に心に引っかかったのは、登場人物たちの名前だ。特に女性たちの名前は意味深であるように思えてならなかった。
 パーディタ・ローレンスとロザマンド・ヨークの名については、作中、スティーヴン・ローレンスもうわ言の中で触れているが、それぞれラテン語で、パーディタには「失われしもの」、ロザマンドには「現世の薔薇」という意味がある。
 パーディタは、訳注でも触れたが、シェークスピアの『冬物語』に出てくる女性の名で、シチリア王リオンディーズとその妻ハーマイオニの娘。そこでも、「失われしもの」という意味だという説明が出てくるが、不義の濡れ衣を着せられて投獄されたハーマイオニが獄中で生み、王の命でボヘミアの海岸に捨てられる運命の娘だからだ。羊飼いに拾われたパーディタは、ボヘミアの王子フロリゼルと結ばれてハッピーエンドを迎えるが、詩人のスティーヴン・ローレンスは、そのヒロインにちなんで娘の名前を付けたのだろう。
 これに対し、ロザマンドは、シューベルトの劇音楽「キプロスの女王ロザムンデ」に由来するように思える。ヘルミーネ・フォン・シェジーの台本にシューベルトが音楽を付けたものだ。ロザムンデはキプロス王の娘だったが、亡父の遺言により貧しい未亡人のもとで育てられる。18才になった時、正統な王位継承者であることを明かされると、王の代理として統治していた男が、権力を維持するために、彼女に結婚を迫ったり、毒殺しようと試みたりするが、ある青年が彼女を危機から救う。その正体は、亡父が生前に定めていた許婚の王子で、ハッピーエンドを迎えるというストーリー。
 さらに、イゾルダ・カニングの名は、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のイゾルデに由来するように思える。イゾルデはアイルランドの王女で、コーンウォールのマルケ王に嫁ぐ船旅の途中、かつての婚約者を討った仇であるトリスタンと愛の薬で結ばれてしまう。彼女がマルケ王に嫁いだ後、イゾルデに横恋慕した王の家臣メロートの策略により、二人の関係を王に知られ、トリスタンはメロートの剣の一撃を受けて致命傷を負う。イゾルデは居城に運ばれたトリスタンのもとに駆け付けるが、トリスタンは息絶え、イゾルデもそのあとを追うというストーリー。
 いずれも数奇な運命に弄ばれる女性たちであり、マクロイは敢えて事件関係者の女性たちにメタファー的な名前を付けたように思えてならない。
 さらに言えば、ほかにも意味深と思える名前がある。ジャック・ダガンとシャーロット・ディーンだ。何度か出てくる、小切手に用いられた二人のイニシャルは、J・DとC・D。これは、献辞で作品を献げたジョン・ディクスン・カー(カーター・ディクスン)のイニシャルを暗示したものと思えてならなかった。カーへの親しみを込めて、遊び心でこっそりそのイニシャルを表す人名を用いたのではないか、というわけだ。最初はあとがきでその点も触れようと思ったのだが、さしたる根拠もない推測だったため、最終的に省いたのだ。
 あながち見当違いでもないと思うのは、マクロイはしばしば、こうした手の込んだメタファー的手がかりを作中に採り入れることがあるからだ。
 『あなたは誰?』では、フレイザーの『金枝篇』を手がかりに採り入れているが、これはある程度の知識がない限り、たいていの読者はまず気づきそうにあるまい。『二人のウィリング』でも、先に触れたスティーヴン・ローレンスのうわ言に、さる高名な英国の人文主義者の著作からの引用が手がかりとして隠されているが、これは、仮に読んだことがあったとしても、容易に気づくものではないだろう。
 つくづくマクロイとは、油断のならぬミステリ作家である。
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