レイモンド・チャンドラー『過去ある女――プレイバック』

 チャンドラーの完成された最後の長編『プレイバック』(1958)は、あの力作『ロング・グッドバイ』(1953)の次に書かれた作品としては、あまりに肩透かしの貧弱な作品だった。せいぜい、ラストでリンダ・ローリングがマーロウに電話をかけてくるシーンくらいしか、すぐに思い浮かぶ名場面はない。
 ところが、その『プレイバック』の元となった『過去ある女』(完成1948年、刊行1985年)は、とても読み応えのある、起伏に富んだ素晴らしい映画シナリオだ。チャンドラーにとっても、このまま埋もれさせるには惜しい自信作だったのか、マーロウの登場する長編に仕立て直されたのだが、残念ながら、オリジナルの魅力を活かせるほどの長編には仕上がらなかったようだ。
 一つには、作者が既にアルコールに溺れて筆力が衰え、チャンドラーに特徴的な細部の描写や比喩にも冴えがないこと、マーロウの描写もいまひとつ魅力に乏しいこともあるだろうが、映画シナリオならではの場面や視点の切り替えの面白さが、一人称小説の制約によって切り詰められてしまったこともある。この点は、訳者の小鷹信光氏も解説で指摘していることで、「カメラ・アイ視点の物語の中に、一人称視点の私立探偵、フィリップ・マーロウを強引に介入させた」という説明に長編の弱点が的確に集約されている。
 チャンドラーの作品にこんな面白いものがまだ残っていたのに気づいたのは、ちょっとした拾い物をした気分なのだが、このシナリオをひときわ素晴らしく感じさせるのは、小鷹氏による闊達で生き生きとした翻訳によるところも大きいだろう。チャンドラーの表現や語法に通じ、ハードボイルドのスピリットを体現できる翻訳家だからこそ実現できた、原作と翻訳が一体となった傑作だと思った。できれば、ハメットだけでなく、チャンドラーの長編も小鷹氏の新訳で読んでみたかったものだ。
スポンサーサイト

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示