ハリイ・ケメルマン『金曜日ラビは寝坊した』

 ケメルマンのラビ・シリーズは、残念なことに、現在ではほとんどが入手困難となっている。安楽椅子探偵ものの古典であり、「クイーンの定員」にも選ばれた、ニッキイ・ウェルト教授を主人公とする短編集『九マイルは遠すぎる』(1967)が版を重ねているのとは対照的だ。
 その理由は分からぬではない。『九マイルは遠すぎる』はいかにも純粋論理思考の謎解き短編集で、本格ファンを楽しませる要素をふんだんに有している。ところが、ラビ・シリーズは、謎解きの要素以上に、ユダヤ教の教義や習俗を紹介することに著者がのめり込みがちであり、ユダヤ教に馴染みも関心も乏しい多くの日本人読者にしてみると、まるで埋め草だらけの冗長な長編のように感じられてしまうからだ。
 『金曜日ラビは寝坊した』(1964)は、ラビ・デイヴィッド・スモールが登場する第一作で、アメリカ推理作家協会(MWA)処女長編賞を受賞し、本国アメリカではベストセラーになったという。ラビとして再任用されるかどうかの危機に立たされたデイヴィッドが、共同体メンバーの投票を受けようとする矢先、礼拝堂の敷地内で女性の絞殺死体が発見され、所持品のハンドバッグがラビの車の中から発見される事件の発端は、いかにも謎解きファンの興味をくすぐる展開だ。
 しかし、このデビュー作で既にユダヤ教の蘊蓄を傾ける癖が前面に出ていて、謎解きの本筋とあまり関係のない議論に次第にうんざりしてくる。さらに、普通ならラビが第一容疑者として追及されそうなところだし、そうした展開にしたほうがストーリーとしては盛り上がったのではとも思えるのだが、肩透かしなことに実際はそうはならず、サスペンスの希薄な中だるみ感がつきまとう。
 プロットはそれなりに練られ、犯人の設定、ミスディレクション、伏線の張り方なども悪くないのだが、惜しむらくは、全体のストーリー展開の散漫さが謎解きとしての面白さを希薄化させてしまっている。このシリーズは回を追うごとにますますユダヤ教の蘊蓄披露の度合いが増していき、次第に読むに堪えなくなっていくようだ。ケメルマンが『九マイルは遠すぎる』の謎解き路線を堅持しなかったのは、本格ファンにしてみると残念なところだろう。
 邦訳はさすがに時を経て訳文も古くなっているように思われる。聖書などの引用の訳もてきとうに処理されているし、今読むと日本語としても首を傾げる表現が散見される。期待薄かもしれないが、本来なら改訳されて然るべきだろう。
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