フィリップ・マクドナルド “The Noose”

 “The Noose”(1930)は、アントニイ・ゲスリン大佐の登場する第3作目に当たる。前作“The White Crow”に比べればずっとましな出来栄えと思えるが、推理小説としての構成は『鑢』や“The Link”に比べるとまとまりが悪く、謎解きの醍醐味を期待すると当てが外れることになる。
 本作での趣向は、謎解きとしての構成より、いわゆるデッドライン物の先駆をなしているところにある。つまり、期限が迫る中で真犯人を見つけなければならないという設定のサスペンスが本作の見どころである。

 ゲスリン大佐のもとをセルマ・ブロンスンという女性が訪れる。セルマの夫、ダン・ブロンスンは、元ボクサーで、ブラッカッターという男を殺害した罪で死刑判決を受けていた。ブラッカッターは後頭部を至近距離から撃たれ、ブロンスンはそのそばで気を失っている状態で、夜、森の中で発見されたのだった。状況は明らかにブロンスンによる犯行であることを示していた。
 何千人もの署名を集めての執行猶予の歎願もむなしく、ブロンスンは五日後に死刑執行の日を迎える。夫の無実を信じるセルマは、ゲスリンに真犯人を突き止めて夫の無実を証明してくれるよう支援を請う。セルマの誠実さに打たれたゲスリンは、ブロンスンの無実を信じ、限られた時間の中で調査に乗り出す・・・。

 ゲスリンは、自らが所有する新聞「フクロウ」の二人の記者、フラッドとダイスンの協力を得て調査を進めていくのだが、その調査ぶりはいかにも淡々として緊張感に欠けているし、ブロンスンやセルマという当事者たちの置かれた苦境もさほど生々しく描かれるわけでなく、差し迫ったリミットの中で時間と闘いながら真相を突き止めなければならないという焦りも緊迫感も伝わってこない。
 各章の見出しは、「木曜」「金曜の朝」「金曜の午後」「金曜の夜」「土曜」「日曜」「月曜」「当日」という具合に、日一日と死刑執行の日が迫ってくるのを示す構成になっていて、本作での作者の狙いを端的に表しているのだが、その狙い自体が上滑りして、中身が伴わないままに終わっている感がある。設定だけを捉えれば、ウィリアム・アイリッシュの『幻の女』(1942)や『暁の死線』(1944)の先駆けともいえるのだが、アイリッシュの醸し出す、手に汗握るようなサスペンスには到底及ばない。
 ‘X’という文字を好むマクドナルドは、この作品でも、未知の第三者の存在を‘X’と想定して推理を展開する場面が、クライマックスも含めて出てくるが、真犯人の設定も動機もかなり強引で、見てくれほどの論理性は伴っておらず、謎解きとしても中途半端にとどまっている。
 結局、この作家は、クイーンもどきの論理性よりも、サスペンスやスリリングな展開を紡ぎ出すほうが性に合っていたと思われ、実際、その後は、“Murder Gone Mad”や“R.I.P.”など、そうした傾向の強い作品が増えていく。その意味で、“The Noose”は、マクドナルドにとって、こうした作風へとシフトする過度期の作品だったといえるのかもしれない。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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