脱線の余談――特集ならばもっと情報を

 今月の「ミステリマガジン」は、「そしてクリスティーはいなくならない」と銘打ったアガサ・クリスティの特集号。だが、看板と裏腹に、小山正氏による映像化情報を除けば、まるで過去の作家と化して「いなくなってしまった」かのように新たな情報に乏しかったのが残念だ。「私の偏愛クリスティー」というエッセイ群も決して悪くはなかったのだが、厳しめに言えば、個々人の感想の集積にすぎず、目新しいものは特になかった。
 自分のブログを宣伝するようで恐縮だが、ここ数年の間だけでも、クリスティによるエッセイ‘Detective Writers in England’、‘The Tragic Family of Croydon’の発掘や、‘Butter in a Lordly Dish’、‘Personal Call’などの未収録ラジオ・ドラマを収録したCD“Agatha Christie: The Lost Plays”の発売、ジュリアス・グリーンによる“Curtain Up: Agatha Christie – A Life in Theatre”の刊行などを取り上げてきたつもりだが、そうした近年の動きにはまるで触れられていない。版権のほとんどを独占している出版社にしては、邦語情報に偏りすぎて、素人臭さの抜けない特集に終わっている感がある。
 さらに、かつて1990年10月号に掲載された戯曲版「そして誰もいなくなった」が再録されているが、この訳は英サミュエル・フレンチ社の旧版を底本にしたものと思われる。以前の記事でも述べたように、クリスティはのちに同戯曲の改訂版を出しており、現在手に入る版のテキストは、英サミュエル・フレンチ社のものも含めて、すべて改訂版に拠っている。せっかく新たに掲載するのであれば、できれば改訂版を底本に用いて改訳してほしかったところだ。
 また、これも同じ記事で指摘したとおり、訳者は「一九四四年初版」を底本にしたと述べておられるが、改題の趣旨説明が載っている点からしても、実際はのちの版と思われる。のちのフレンチ版はテキストは初版と同じでも、初版に掲載されていた舞台写真が省かれている。その写真は以前の記事でもアップしたが、この写真が省かれているのも、底本に用いた版が真の初版ではないからではなかろうか。フレンチ社の台本版には載っている初演データや小道具・照明の手配が省かれているのも、早川の翻訳では一貫したこととはいえ、惜しい気がする。
 なお、同号には、若林踏氏と新保博久氏によるR・オースティン・フリーマン『オシリスの眼』(ちくま書房)の書評が載っており、概ねご好評をいただいたのはありがたいが、誤植(「ジョン・ウィンダム」って誰? 「余詰め」という詰将棋の用語は「理詰め」の誤りだろう)とネタバレ(新保氏の書評)が目立って見苦しいのが残念。とはいえ、以前ならば新訳はチェックリストに載るだけだったのを、初の完訳ということもあるだろうが、複数の書評で取り上げていただいたことには感謝したい。
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