チャンドラーによる本格作品評

※『そして誰もいなくなった』のプロットを明かしていますので、未読の方はご注意ください。


 ミステリの女王アガサ・クリスティは、『複数の時計』の中で、ポアロの口に仮託して「暴力のための暴力」と評しているように、ハードボイルド小説がいたくお嫌いだったようだ。その一方で、『オシリスの眼』のあとがきでも触れたが、ハードボイルド小説の雄レイモンド・チャンドラーは、エッセイ‘Simple Art of Murder’(「単純な殺人芸術」、「むだのない殺しの美学」など、邦題はいろいろ)で、クリスティを含む巨匠たちの作品のプロットをさんざんにけなしている。彼は本格謎解き小説がよほどお気に召さなかったらしく、テイの『フランチャイズ事件』への好意的な評や、オースティン・フリーマンに対する手放しの賞賛ぶりは例外中の例外と言っていい。
 私のような節操のない読書家は、本格もハードボイルドも無頓着に楽しめてしまうたちなのだが、どうせなら作家サイドももっと仲良くしてもらって、互いに建設的な対話でもしてくれたらよかったのにと、まことに残念に思う次第である(笑)。
 チャンドラーの本格作品評というと、上記‘Simple Art of Murder’が最もよく知られているが、書簡集を参照すれば、ほかにもいろんな作品評が出てくる。その一端をここでご紹介してみよう。
 なかでも、アガサ・クリスティの作品はおめがねに適わなかったようだ。まるで象と鯨のように、この二人は互いに接することも理解し合うこともない巨匠同士だったのかと思えてくるほど。‘Simple Art of Murder’では、『オリエント急行の殺人』のプロットを「アホにしか分かりっこない」と評したチャンドラーだが、ジョージ・ハーモン・コックス宛ての書簡(1940年6月27日付け)では、『そして誰もいなくなった』を俎上に載せている。チャンドラーは、『そして誰もいなくなった』をその刊行後間なしに読んでいたのだが、彼にこれを読むよう勧めたのはコックスだったようだ。
 曰く。前半、特に出だしは面白かったが、後半は冴えを失ってしまった。帯文句に「完璧な犯罪小説」と謳われていたものだから、誠実さのある犯罪小説かと期待したが、読者を公平に扱い、動機や殺害方法も理に適っているかといえば、この本は「たわごと」。
 基本的な着想がそもそも気に入らない。サド気がある上に正義感に駆られた判事が、ただの伝聞証拠に基づいて人を次々と殺していく。罪を認める者もいるが、みな殺人が計画され、有罪が宣告されてしまったあとのこと。「相も変わらぬ読者に対する恥知らずで完全なペテン」。殺害方法も全くの僥倖に依存しているし、ものによっては不可能。
 でも、この本を読めてよかった。ずっと心にかかっていた疑問がついに解けたから。古典的なタイプのミステリで本当に誠実なものを書けるかというと、無理。意外な殺人犯を設定しようとすれば、人間性を捏造しないといけないけど、自分にはとてもできない。だって、自分には人間性のセンスがあるんだもの。「頼むから、誠実さのあるミステリの話なんかやめてくれ。そんなものは存在しないよ」
 ・・・いやはや、取り付く島もないとはこのことで、けちょんけちょんである。ギネスブックに載っている作家の最大のベストセラー作品に対して!
 ドロシー・L・セイヤーズについては、ジェイムズ・サンドー宛ての書簡(1951年9月25日付け)で、『学寮祭の夜』を再読したことを伝えている。
 「いやはや、なんたるおべっかの垂れ流し」。オックスフォードのカレッジの女学寮長たちが、ピーター・ウィムジイ卿のことを知りたいとか、ハリエット・ヴェインの新作ミステリのプロットを知りたいと大騒ぎ。「馬鹿にもほどがあるんじゃないの。これでも、決して馬鹿じゃない女が書いたものなのよ」。
 ジェイムズ・M・フォックス宛ての書簡(1954年2月16日付け)では、『死体をどうぞ』に言及しているが、「警察医は、アホでもなきゃ、死人が血友病だと気づくだろうに」と一蹴している。
 ニコラス・ブレイクの『野獣死すべし』も読んでいるが(1950年12月7日付けジェイムズ・サンドー宛て書簡)、どうやら、ナイジェル・ストレンジウェイズの妻、ジョージアがひどくお気に召さなかったようだ。曰く。世界で最も偉大な三人の女探検家の一人なんて、実に馬鹿馬鹿しい。ロデリック・アレンの芸術家の妻(アガサ・トロイ)もそうだけど。・・・フリーマンの「ヴィクトリア朝風の恋愛シーン」には好感を抱いたチャンドラーも、ステイタスや気位の高そうな女性はお嫌いだったようだ。
 さらに曰く。警察を出し抜くアマチュア私立探偵という設定も、ただもう馬鹿馬鹿しいかぎり。プロットの点で言えば、日記の語り手に、轢き逃げ犯が誰か早々と気づかせてしまうなんて、ブレイクはとんだミスをやったもの。そんなのは、長くてつらい、さんざん骨を折る仕事のはずだし、本の三分の二か、半分くらい過ぎてからでなきゃ。・・・という具合で、これまた辛辣きわまりない評価を下している。
 ミステリ作家の中には、アントニイ・バークリーやジョン・ディクスン・カーのように、書評でも健筆を揮った人もいるが、もしもチャンドラーが書評を担当していたら・・・(笑)。
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いつも拝読させていただいています。

本格好きの自分にとっては、チャンドラーの書評は、しばしば首を傾げたくなる物が多いですね。

二十数年前、「野獣死すべし」を読んで、好印象を抱いていましたが、その間を置かず目にしたのが、早川書房から出ているチャンドラーの書簡集でした。

確か探偵のストレンジウェイズが登場してからの後半も酷評していましたが、個人的には大乱歩同様、その後半から絵解きまでの流れに評価を置いているので、この気取った呻き屋の大作家は、何も分かっていない、他作を批判するなら運転手を殺した犯人を早く見つけろ!と憤慨したのを懐かしく思い出します。

痛快なのは、我らがディクスン・カーが、彼の作品や創作姿勢を酷評していて、後年邦訳された評伝を読んで、大いに溜飲を下げました。

ただ、ミステリがジャンルを問わず鷹揚に受け入れられる現代となっては、管理人さんのおっしゃるカーとチャンドラーの「建設的」討論(直接対決!)が見たかった気がします。



カーの批評はチャンドラーも目にしていたようで、書簡集にもそのことがちらほら出てきます。もちろん不快げに書いてますね。
カーの批評を目にしたチャンドラーが激怒したというエピソードを読んだ我が国の某批評家が、一日笑みを禁じ得なかったという話もありますが、確かに痛快といえば痛快でしょうか(笑)。
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