『アクロイド殺害事件』の叙述と翻訳(注意:ネタバレあり)

 『アクロイド』既読の方はドラッグして表示を反転させてお読みください。未読の方は読まずにスルーしてください。
 
 プロットの秀逸さで推理小説のベストを選べと言われたら、私なら躊躇なく『アクロイド殺害事件』を挙げる。しかし、これほどよく知られた作品だというのに、この作品に対するまともな評価をほとんど見たことがない。
 この作品に対する評価は、大抵、その結末のサプライズ効果に集中している。即ち、「意外な犯人」というトリックの是非である。確かに、予測し得ずしてその結末に至った読者の多くは、まずはそのトリックに感心し(あるいは怒り)、意外性に驚くことだろう。そして、その効果が、もっぱらこの作品を評価する基準であるかのようだ。
 しかし、それは極めて皮相的な評価のように思える。この作品はそんな単純なものではないからだ。こうした単純な捉え方が、ルブランの「アルセーヌ・ルパンの逮捕」のような作品を引き合いに出し、「前例がある」などという議論にもつながっている。
 この作品を一旦読み終えた後、もう一度最初に戻って確認してみようという読者がどれだけいるだろうか。その意外な結末を受けて、「待てよ。ならば、この物語は初めからそうした視点で書かれていたのか」と、確かめてみようとする読者は案外少ないだろう。所詮は推理小説。一旦読み終えたらそれまでで、御丁寧にもう一度遡って検証するなどという几帳面な読者はごく僅かだろうからだ。
 この作品をもう一度最初に戻って見直してみると、叙述の仕掛けがいかに徹底しているかがよく分かる。
 まず、冒頭のパラグラフ。原文では次のようになっている。

 ‘Mrs. Ferrars died on the night of the 16th-17th September-a Thursday. I was sent for at eight o’clock on the morning of Friday the 17th. There was nothing to be done. She had been dead some hours.’

 実はこの冒頭部分において既に仕掛けが隠されている。
 ‘There was nothing to be done.’という文は、一見すると、医師の立場で、フェラーズ夫人の救命に間に合わなかったことを残念に思っているように読める。ところが、読後もう一度読み返してみれば、その意味はまるで違っていることに気づく。実は、その言葉の真意は、恐喝の度がすぎて「金の卵を産む鵞鳥」を自殺に追い込んでしまったことを「取り返しがつかない」と悔やんでいるのだ。
 「まともな評価を見たことがない」と先に書いたが、それはこの作品の翻訳からも裏付けられる。というのは、最近出た翻訳を見ても、この文に「手のほどこしようがなかった」といった訳を当てている例があるからだ。「手を施す」という表現では、通常の使用例に照らせば、医師の立場で治療を施したり、蘇生を試みたりするという意味にしか受け取れない。もし、この作品のプロットの特徴が正当に評価されていれば、こんな訳が今日なおまかり通ることはなかったはずだ。いかな新訳といえど、この肝心な部分の両義性を活かしていない訳は、ほかの部分をどれだけ改善していようと、個人的にはチョイスできない。

 第4章では、アクロイド氏が、フェラーズ夫人を恐喝していた人物がいたことを語る場面が出てくる。そして、それを聞いた語り手は、次のように独白する。

 ‘Suddenly before my eyes there arose the picture of Ralph Paton and Mrs. Ferrars side by side. Their heads so close together. I felt a momentary throb of anxiety. Supposing-oh! But surely that was impossible. I remembered the frankness of Ralph’s greeting that very afternoon. Absurd!’

 一見すると、語り手は、ラルフ・ペイトンこそがフェラーズ夫人の恐喝者ではないかと疑い、ラルフがそんな人物であるはずがないと疑念を振り払おうと努めているかのように読める。ところが、あとから読み直せば意味はまるで違ってくる。実は、フェラーズ夫人が恐喝者の正体をラルフに話したのではないかという不安がよぎったことを語っているのであり、ラルフの態度から、よもや気づいていまいと不安を振り払おうとしているのだ。

 第5章には、原文で次のような描写が出てくる。

 ‘I did what little had to be done. I was careful not to disturb the position of the body, and not to handle the dagger at all. No object was to be attained by moving it. Ackroyd had clearly been dead some little time.’

 最初のセンテンスは、最終章の告白の部分でも引用・解説されているため、記憶に残る読者も多いだろう。だが、ここで気を付けなければならないのは、むしろ‘No object was to be attained by moving it.’というセンテンスだ。一見すると、今さら短剣を抜き取っても助けることはできない、という意味に読める。ところが、その真意は、既にこと切れているのは明らかだから、とどめを刺す必要はない、と語っているのだ。ここでも、‘move’を「抜く」「抜きとる」と訳してしまっては、叙述に込められた仕掛けが活きてこない。
 (そもそも、語り手がフェラーズ夫人やアクロイド氏の救命を願うはずがないと、なぜ訳者たちは気づかないのだろうか。これでは語り手は心にもない嘘をしゃあしゃあと書いていることになってしまう。「アンフェア」という批判は、場合によっては、作者にではなく、実は翻訳に責任がある可能性も否定できない。)

 第6章では、語り手がデイヴィス警部にその夜の出来事を説明する際に、こう解説する。

 ‘And then and there I narrated the whole events of the evening as I have set them down here.’

 一見すると、洗いざらい説明したかのように読めるが、実は、あくまで、出来事の全体を(都合の悪い部分には触れていない)自分の手記のとおりに説明したと語っているのだ。この部分も、「すっかり話した(語って聞かせた)」のように訳すと、嘘を書いているように読めてしまう。

 仕掛けは語り手の叙述だけではない。第17章では、ポアロが犯人の人物像をかなり具体的に描写する場面がある。しかし、犯人自身が目の前にいるところで語っているため、その描写が正確なものだったと最後には分かるが、よもやその人物のことを描写しているとは、大抵の読者は気づかない。(ここでも、ポアロの説明を聞いたキャロラインがラルフ・ペイトンのことだと決めつけてしまうため、語り手が受けた「印象」も同じものだと思い込みそうになるが、実はまるで違う「恐怖」を感じていたと分かる。)

 幾つか例を挙げただけだが、全体を読み終えた後で読み返すと、あたかも「老婆と美女」のだまし絵のように、全てが違った絵のように見える仕掛けになっている。これは決して、結末の大団円で読者を引っ掛けるだけのトリック小説ではない。作品全体が大きな仕掛けなのであり、一つの対象を一つの視点から見ているはずなのに、異なる二つの解釈が可能になるように、しかも、どちらの読み方をしても一貫性を持つように緻密に計算された構造を持つ小説なのだ。それは、作品の叙述全体が真相を見極めるための手がかりになっていることをも意味している。これのどこが「アルセーヌ・ルパンの逮捕」と同様のプロットなのだろうか。
 クリスティ自身もそのことを意識していたことは、以前紹介したペンギン・ブックスに寄せた序文にも表れている。
 クリスティはそこで、批判者に対しては、「様々な表現の工夫や細心の言葉の選び方」に注意を向けさせることで反論してきたと語っている。これに先行する部分でも語っているように、この作品は単に中心となる「アイデア」だけで勝負したものではなく、そのアイデアを活かすための「技術的な挑戦(a certain technical challenge)」に取り組んだ成果なのだ。
 なお、この序文の訳を収録しているのは、今のところ、創元社の大久保康雄訳だけなのだが、実はこの訳には(上記で該当する例だけでなく)大きな問題がある。
 それは、最終頁の最後から4行目。「・・・感じない。」の次に来るべき文章、原文では、‘I have no pity for myself either.’という文章に当たる訳文が欠落しているのだ。この文がないと、次の‘So let it be Veronal.’というセンテンスにうまくつながらない。うっかり見落とした結果かもしれないが、こんなに長い間放置されているのもどうかと思う。速やかに訂正されるべきだろう。


アクロイド(ペンギン・ブックス)
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ジャンル : 小説・文学

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こんばんは^^
「アクロイド殺人事件」は私がクリスティに出逢った初めての作品です。この作品をきっかけにクリスティにのめり込んだのでした。
それから20年。何度も読み返してはいますが、こちらの記事を拝読して、原書を読んでいないことが悔やまれます。
翻訳されたものしか読んでいないと、本来の楽しさを味わえないのだなぁと。
いつかきっと、クリスティ全作品、原書で読もうと決めました!

「れもん」さま

コメントありがとうございます。
クリスティの英語は平易で折り目正しく、とても読みやすいと思います。英語の苦手な人にとっても、学習用にうってつけといえるでしょう。
私も中学の時に『アクロイド』を読んだのが懐かしい思い出です。

お邪魔します!
小学生のころに児童用推理小説で読んだときも、
大人になってあらためて文庫で読み直したときも、
新鮮な驚きをくれた「アクロイド」。お気に入りの作品です。

作者の意図や仕掛けを正確に楽しみたいなら、
やはりオリジナルを読むのがイチバンなんですね。
今回、たくさんの新発見をいただきました☆
また訪問させていただきますね~。

Re: タイトルなし

「あしゅう」さま
コメントありがとうございます。

残念なのですが、現時点では、
『アクロイド』は原書以外お勧めする気に
どうしてもなれないんです。
一番ポピュラーなH書房、S社の翻訳は
どっちも問題ありだと思っています。

もし機会があれば、ぜひ原書で読んでみてください。
ここで挙げたのはほんの数例だけですから
きっと、もっとたくさんの「新発見」に
気づくのではないかと思います。

「あしゅう」さんのサイトもまた
拝見しにうかがいたいと思っています。
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S・フチガミ

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