ヘレン・マクロイ『牧神の影』刊行予定

 ヘレン・マクロイ『牧神の影』がちくま文庫から刊行される予定です。
 原題は“Panic”。ストーリーを少しだけ紹介させていただくと・・・ 

 アリスン・トレイシー(本書のヒロイン)は、早朝、屋内電話で目を覚まし、同居の伯父フェリックスが死んだことを知らされる。心臓を患っていた伯父は、いつも寝る前に読んでいたプルタルコスの著書を膝の上に開いたままベッドで息を引き取っていた。
 アリスンはその本の間から滑り落ちた紙片に意味不明の文字の羅列が手書きで書かれているのに気づくが、ただの紙くずと思い、ゴミ箱に捨てるよう女中に指示する。そこへ陸軍情報部のアームストロング大佐と名乗る人物が来訪し、伯父の書類フォルダーはどこにあるのかとアリスンに詰め寄る。大佐によれば、伯父は新たな暗号法の開拓を試み、完璧な戦地用暗号を作ったと主張していたという。捨てた紙がその暗号だったのではと気づくが、屑籠のゴミは既に焼却され、アリスンも内容を憶えてはいなかった。
 アリスンはいとこの勧めでニューヨークの喧騒を離れ、老犬のアルゴスを連れてオールトンリーという人里離れた山間のコテージに移り、しばらく滞在することに。一人静かに床に就いたアリスンだったが、夜中に、コテージの周囲をうろついているらしい不審な足音に目を覚ます・・・。

 本作の重要なテーマの一つは、〈暗号〉。マクロイのノン・シリーズものの代表作の一つというだけでなく、暗号ミステリの頂点を極めた傑作として評価されています。我が国でも、近年話題を呼んだ竹本健治氏の『涙香迷宮』のように、ミステリにおける暗号は今日なお人気の高いテーマですが、マクロイがこの困難なテーマにどのように挑んだかも注目されるところでしょう。
 シリーズものであれば、〝機械仕掛けの神〟よろしく、ベイジル・ウィリング博士が必ず最後に快刀乱麻を断つ如く決着をつけてくれると誰もが予測します。しかし、叡智に長けた名探偵はここには不在。それだけに、ヒロインが救われるかどうかも心もとない。ヒロインはみずから苦境を脱し、謎を解かなくてはならない状況に置かれ、そのことがサスペンスをいやがうえにも高める展開となります。
 本作は、H・R・F・キーティング編“Whodunit?”において、マクロイの作品としては、『暗い鏡の中に』、The Sleepwalkerと並んで採点の対象に挙げられ、両作と遜色のない高い評価を与えられており、また、短編集“The Pleasant Assassin and Other Cases of Dr. Basil Willing”に序文を寄せたB・A・パイクも、ノン・シリーズものとしては唯一、本作をマクロイの傑作として挙げています(ほかは、『あなたは誰?』、『逃げる幻』、『ひとりで歩く女』、『暗い鏡の中に』、『二人のウィリング』、『幽霊の2/3』、『割れたひづめ』)。
 なお、翻訳の底本には、1944年の米ウィリアム・モロウ社初版を用い、1972年の英ヴィクター・ゴランツ社の改訂版を適宜参照しました。
 多くの読者の皆様に楽しんでいただけることを願っております。

            Panic Morrow
                米ウィリアム・モロウ社初版


            Panic Gollanz
                英ヴィクター・ゴランツ社改訂版



 なお、私の所持する英ゴランツ社版には、著者マクロイの献辞が書き込まれています。


            Panic署名
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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