アンソニー・バウチャー “The Case of the Crumpled Knave”

 バウチャーの“The Case of the Crumpled Knave”(1939)は、“The Case of the Seven of Calvary”(1937)(邦訳『ゴルゴタの七』東京創元社)に続く彼の長編二作目であり、アイルランド系の青年探偵ファーガス・オブリーンの初登場作である。なお、その後の作品に登場する姉のモーリーン・オブリーンは、会話の中でしばしば言及されるが、登場はしない。
 (前作『ゴルゴタの七』に登場したカリフォルニア大学のサンスクリットの教授ジョン・アシュウィン博士と学生マーティン・ラムは、その後再び登場することはなかったが、“The Casebook of Gregory Hood”に寄せたジョー・R・クリストファーの序文によれば、同作と“The Case of the Crumpled Knave”の間には、出版社に拒否され、破棄されてしまった幻の長編があったようだ。もしかして、それはアシュウィン博士物の二作目だったのだろうか。だとすれば、出版社に拒まれた理由もさることながら、どんな作品だったのか興味津々。手がかりが残っていないとすれば残念なことだ。)

 ニューヨークに住む退役軍人のランド大佐は、友人の研究化学者ハンフリー・ガーネットから謎の電報を受け取る。その電報には、「すぐカリフォルニアに来られたし。必要ならフライトで。君は我が死体の検死審問の重要な証人となるだろう。ヘクターに用心を」とあった。ランド大佐がハンフリーの家に着くと、既に警察が来ていて、ロサンゼルス警察のジャクスン警部補から、ハンフリーが毒殺されたと知らされる。
 ガーネットは、事故で妻を亡くし、一人娘のケイ、義弟のアーサー・ウィロウ、研究助手のウィル・ハーディングと同じ屋根の下に暮らしていたが、そのほかに、映画俳優でケイの婚約者であるリチャード・ヴィントン、素姓のよく分からないカミーラ・サリスという娘がゲストとして滞在していた。
 ハンフリーは、夜、ほかの者が部屋に引き取ったあと、一人書斎に残っていたが、寝酒として置いてあったウィスキーの水割りに青酸が仕込まれていて、それを飲んで死んだらしかった。いまわの際に犯人の手がかりを残そうとしたらしく、くしゃくしゃになったトランプのカードを握っていたが、それはダイヤのジャックだった・・・。

 ファーガス・オブリーンが捜査に乗り出すきっかけは、ケイ・ガーネットが姉モーリーンと一緒に学校に通った仲だったからだが、著名な探偵だと警察と関わりが深すぎてその立場に与するかも、と言われ、友だちの弟が探偵をしていることを思い出したケイが、ただそれだけの理由で衝動的にファーガスに依頼の電話をかけるという設定がユニークだ。探偵として多少の実績は上げていても、まだ経験も浅く、殺人事件を扱うのは初めてときては、探偵としての力量も未知数で、粋がってはいるものの、警察からも侮られ続ける頼りなさが、かえっていい味を出していて面白い。しかも、最後に真相を暴くのはファーガスではなく、別の登場人物。いったんは見事な推理を披露したかに見えたところで、思いがけないどんでん返しを食らってしまう。華々しいどころか、むしろ手痛い失敗でデビューを飾り、捲土重来を誓って結びを迎えるところが、この探偵に人間的な魅力を与えていて、つい、今後の活躍を応援してやりたい気分にさせる。
 アーサー、ヴィントン、サリス嬢といった登場人物たちがいずれも未知の素姓を隠していて、それが明かされていくプロセスが事件の展開とうまく結び付いているのもストーリーに起伏を与えているし、二転三転する謎解きの醍醐味も、いつもの作者の遊び心が溢れていて実に楽しい。過去の著名作から借用したと思しきアイデアが幾つも隠し味に使われていて、そんなことに気づくのもこの作品の面白さの一つだ。独創的なプロットが用いられているわけではないが、今後に期待を抱かせる設定の巧みさが、(アシュウィン博士物と異なり)シリーズとして受け入れられ、成功した理由だったといえるかもしれない。
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テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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