『空のオベリスト』へのシモンズの序文

 デイリー・キングの代表作として定評がある作品は、『空のオベリスト』(1935)。だが、タイトルには前二作と同様、「オベリスト」が使われているにもかかわらず、この作品から心理学者たちによる迷推理の競演という趣向は影を潜めている。これに違和感を抱くのは、以前の記事でも書いたとおり、「オベリスト」は古代エジプトの「オベリスク」に由来し、「無価値」な推理を繰り広げて捜査を混乱させる心理学者たちを指すと思われるから。(余談だが、そこからすると、心理学者の議論の競演こそが『海のオベリスト』、『鉄路のオベリスト』両作のプロットの要をなしているわけで、その議論に刈り込みを入れてしまった邦訳の単行本版『鉄路』は、ミステリとして純粋化を図ったつもりが、実は作者の意図を裏切ってプロットの根幹を台無しにしていることになる。邦訳で読むなら「EQ」掲載版がベター。) しかし、登場人物に意味深な名前が付けられている点では相変わらずだ。
 外科医の名前にCutter(切る人)というのもご愛嬌だが、Hood Tinkhamは‘hoodwink’(ごまかす)、Cravenは‘craven’(臆病な)、Prof. I. Didenotは‘I did not’(私はやってない)、Manly Bellowesは‘manly bellow’(男らしい怒声)、`Happy' Lanningsは‘Happy Landings!’(乾杯! 飛行機旅の人への「いってらっしゃい」の意でも使う)、H. E. Lovettは‘helluva’(ものすごい)という具合ではなかろうか。特にラニングス機長の「ハッピー」というあだ名は明らかにそのもじりで付けられたものだが、翻訳ではせめて、その旨の訳注くらい付けてくれると分かりやすかったかもしれない。
 同書は、1980年にコリンズ社のクライム・クラブ50周年記念として復刊された12作の中の一つでもあるが、これらの作品を選抜したのは、英ミステリ界の重鎮だったジュリアン・シモンズであり、各作品にはシモンズの序文が付されていた。(ほかの記事でも触れたが、12作のタイトルを再掲すれば、邦訳のあるものでは、キング『空のオベリスト』、クリスティ『ABC殺人事件』、クロフツ『ヴォスパー号の遭難』、ブレイク『殺しにいたるメモ』、シェリー・スミス『午後の死』、フィリップ・マクドナルド『迷路』、アンドリュー・ガーヴ『落ちた仮面』、未訳では、ニーナ・ボーデン“The Odd Flamingo”、エリザベス・フェラーズ“Enough to Kill a Horse”、ナイオ・マーシュ“Spinsters in Jeopardy”、レックス・スタウト“Even in the Best Families”、L・A・G・ストロング“Which I Never”) シモンズがなかでも謎解き推理小説として高い評価を与えていたのが、この『空のオベリスト』である。
 シモンズはその序文の中で、1930年代は謎解き探偵小説がピークに達した時代だったとし、その中でも特に優れたものとして、エラリー・クイーンの『フランス白粉の謎』、『ギリシア棺の謎』、『エジプト十字架の謎』、ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』、『僧正殺人事件』の名を挙げ、カーの不可能犯罪物にも言及している。
 さらに、その時代の作品で謎解きの構築が特に秀でているものとして、キャメロン・マケイブの『編集室の床に落ちた顔』とキングの『空のオベリスト』の二作を挙げている。『空のオベリスト』については、「これほど巧妙な謎解き作品はほとんど書かれたことがない」、「二十世紀の謎解き探偵小説の中でも最も非凡な作品の一つ」と、謎解き物には辛口批評の傾向があるシモンズにしては驚くほど手放しの称賛を浴びせている。
 昨年亡くなったH・R・F・キーティングが1985年に選んだ“The Disappearing Detectives Series”にしてもそうだが、編者の序文とはなかなか興味深く、時に貴重な情報を含んでもいる。(なお、キーティング編の同シリーズは、ロジャー・バズビー“Pattern of Violence”、G・D・H&M・コール“Last Will and Testament”、ロジャー・イースト“Twenty-Five Sanitary Inspectors”、J・ジェファースン・ファージョン“Ben on the Job”、ジョーン・フレミング“When I Grow Rich”、アントニイ・ギルバート“Is She Dead Too?”、セルウィン・ジェプスン“The Black Italian”、E・C・R・ロラック“Policemen in the Precinct”、フィリップ・マクドナルド“The Noose”、スチュアート・パーマー“Exit Laughing”、ジョン・ロード“The Claverton Mystery”、アリス・ティルトン“Beginning with a Bash”の12作) クリッペン&ランドリュの“Lost Classics”叢書にしてもそうだが、こうした形で復刊されても、邦訳が編者の序文を併せて紹介しない例が多いのは残念なことだ。日本人の批評家等が寄せている「あとがき」に劣らず示唆するところが大きいとしばしば感じるだけに、なおのことそう思うのである。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

C・デイリー・キング『空のオベリスト』

※『空のオベリスト』のプロットに触れていますので、未読の方はご注意ください。

 かつて「EQ」誌に掲載されたデイリー・キングの『鉄路のオベリスト』完訳版が論創海外ミステリから刊行されるそうだ。以前の記事でも書いたが、『海のオベリスト』と『鉄路のオベリスト』は、心理学者達が的外れな心理学論議を展開して捜査を迷走させるところにプロットのかなめがあり、その心理学論議の部分を大きく削った単行本版『鉄路』はプロットの根幹を台無しにした編集と言わざるを得ない。その意味で、「EQ」掲載版が復活するのは歓迎すべきことだと思う。
 マイケル・ロードの登場するキングの長編は6作あるが、やはりその最高傑作は『空のオベリスト』だ。以前の記事でも紹介したように、英国のミステリ批評家、ジュリアン・シモンズは、『空のオベリスト』について、「これほど巧妙な謎解き作品はほとんど書かれたことがない」、「二十世紀の謎解き探偵小説の中でも最も非凡な作品の一つ」と称賛した。この意見には私もほぼ賛同で、自選オールタイム・ベストを挙げろと言われればベスト20くらいには入るだろう。
 ところが、残念なことに、我が国に最初に紹介された際には、それほどの反響は呼ばなかった。せいぜいで、オベリスト三部作の中では他の二作よりまし、程度の評価だったのではないだろうか。その理由の一つは、「手がかり索引」を巻末に設けることで、「フェアプレー精神」を発揮した作品の一つとして本作を評価しようとする向きが強かったことにあると思われる。邦訳解説も、必ずしもそうした一面的な評価をしているわけでもないのだが、やはり、他のオベリストもの二作のほか、クロフツ『ホッグス・バックの怪事件』、ディクスン『白い僧院の殺人』など、同趣向の「手がかり索引」ものを引き合いに出しながら論じているため、「読者への挑戦」とフェアプレー重視の伝統の中で本作を捉えようとしている印象が強い。
 『海のオベリスト』、『鉄路のオベリスト』に関しては、探偵役が本筋のストーリーで謎解きを行い、その結論を裏付け、補強するものとして「手がかり索引」が最後に設けられていた。これは「手がかり索引」の用い方としては、きわめてオーソドックスなものだ。従って、この二作が「フェアプレー精神」を具象化するツールとして「手がかり索引」を活用しているという評はある程度的を射たものと言えるだろう。
 しかし、『空のオベリスト』は違う。探偵役のマイケル・ロード警部は、自分なりの謎解きを行って犯人を特定し、クライマックスでその人物を追い詰める。ところが実は、その人物は真犯人ではないのだ。真の謎解きは、むしろ「手がかり索引」においてなされる。そこに示された手がかりを追っていくことを通じて、初めて事件の真相は明らかになり、真犯人も動機も、さらには、ロード警部がなぜ間違った結論に達したのかも示される。
 これは「フェアプレー精神」を具象化した傑作ないし先駆作なのではなく、フィリップ・マクドナルドばりの奇抜な「趣向」を凝らした怪作と呼ぶべきものなのだ。プロローグとエピローグを倒置するのもマクドナルドを思わせる趣向だが、この点を捉え損ねたことが、本作の正当な評価を著しく妨げてきた最大の原因であるように思えてならない。
 二重底のように用意された二つの解決、それも、第一の解決は本筋のストーリーの中で提示しながら、いったんそのストーリーが完結したあとに、「手がかり索引」を通じて、再びストーリーをトレースしながらもう一つ別の第二の解決を示すことで、どんでん返しを演じる。そして、その二つの解決のギャップを埋め、橋渡しするものとして、「プロローグ」と「エピローグ」の逆転という叙述の趣向を活用する。これが『空のオベリスト』のプロットの特異性と言っていい。
 シモンズが、よりによって、キャメロン・マケイブの『編集室の床に落ちた顔』と並んで本作を推していたというのも、オーソドックスな「フェアプレー精神」の謎解きとして評価していたからではなく、むしろオーソドックスな謎解きの裏をかくギミックを駆使した傑作として評価していたからではないだろうか。
 残念なことに、「手がかり索引」を「趣向」として捉えるのではなく、「フェアプレー精神」の具象化のツールとして捉える先入観がまかり通ってしまったために、本作に関しては、掲げられている手がかりの整合性を疑問視したり、本筋のストーリーとの矛盾を指摘するなどの書評や感想がやたらと目につくのだが、それもこれも、そもそもの視点がずれているからではないだろうか。「プロローグ」部分ですべての疑問が解けるかのような評も見られるが、これも本作の構成を著しく誤解させるものだ。
 キングは、「フェアプレー精神」などよりも、むしろフィリップ・マクドナルド流の奇抜な「趣向」をこそ好んだ作家と見たほうがいい。「オベリスト」と呼ばれる心理学者達のとんちんかんな推理合戦、『海のオベリスト』における「犯人捜し」ならぬ「探偵捜し」の趣向、登場人物の名前に込めた暗喩などもそうだ。『鉄路のオベリスト』完訳版刊行の機会に、オベリスト三部作のミステリ史におけるユニークな位置づけにもう一度目を向けてほしいものである。

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