ナイオ・マーシュ “Spinsters in Jeopardy”

 “Spinsters in Jeopardy”(1953)は、ロデリック・アレン首席警部が登場する長編。

 アレンの妻、トロイは、南フランスのアルプ=マリティーム県に住む親戚から、10か月前から手紙をもらうようになっていた。トロイ自身は会ったこともない相手だが、その親戚はP・E・ガーベルという化学者で、アルプ=マリティームのロークヴィルという土地に住んでいた。
 アレンは、イギリス諜報部、麻薬取締局、フランス警察が共同で進めている麻薬組織の捜査に協力するため、フランスに派遣されることとになったが、その拠点と疑われる場所、シャトー・ド・ラ・シェヴル・ダルジャン(「銀の山羊」館)は、奇しくもロークヴィルの近くにあることから、家族連れの休暇を装うのが好都合なこともあり、親戚訪問も兼ねて妻のトロイと息子のリッキーを連れてロークヴィルに出かける。
 アレン一家の乗った列車が目的地の近くでスピードを落とした時、アレンは車室の窓から、外の建物で起きた殺人らしき現場を目撃する。女が窓のブラインドに向かって倒れ込み、はずみでブラインドが引き上げられ、白い服を着た黒っぽい男が右腕を振り上げているのが見えたのだ。
 ところが、彼らの列車に乗り合わせていたミス・トルーボディというハイミスが穿孔性虫垂を患い、緊急に手術が必要となる。アレン一家は彼女に付き添ってロークヴィルで下車し、医師のところへ連れて行くはめになる。一番近隣にいる医師は、オベロン氏の「銀の山羊」館に客として滞在している、バラディというエジプト人医師と分かる。
 アレン一家はミス・トルーボディを車に乗せて「銀の山羊」館に運ぶが、ミス・トルーボディは外国人と見知らぬ場所に残されるのを心細がり、一家はそのまま彼女に付き合って館に残るはめになる。アレンは、その建物が捜査の目的地というだけでなく、殺人現場を目撃した建物であることに気づく・・・。

 本作は、1980年にジュリアン・シモンズがコリンズ社のクライム・クラブ50周年記念復刊の一冊として選んだ作品。
 シモンズが「謎解きは二次的な要素で、シンプルで素直に楽しめるスリラー」と呼んでいるとおり、マーシュにしては珍しく、正攻法の謎解きではなく、スリラーもしくは冒険ものに属する異色作である。確かにマーシュの作品には海外や旅行を舞台にした作品もあり、様々な設定のバリエーションを時おり試みてはいるが、たいていは、事件の発生からアレンの登場を経て、関係者への尋問が続いた後、大団円の謎解きに至るというパターンを踏むのが普通だ。
 ところが、本作では、冒頭からいきなり家族ぐるみで病気のハイミスの搬送に付き合わされるというハプニングに見舞われ、行った先の館では、カルト的な儀式を執り行う、怪しげな館の主と滞在客たちが待ち受けているし、ようやく病人から解放されて妻と息子をホテルに送り届けたかと思うと、今度は息子のリッキーが誘拐されてしまい、アレン夫妻が追跡劇を繰り広げるという場面変転の目まぐるしさで、およそ弛緩することのないストーリー展開は確かに読み応えがある。中間部で退屈な尋問シーンが延々と続くのが欠点とされるマーシュだが、本作ではそんな退屈さは微塵も感じられない。トロイや息子のリッキー、運転手のラウールやフィアンセのテレサなど、登場人物の個性が活き活きと描かれている点も特筆されていい。
 列車の窓から目撃した殺人という設定は、クリスティの『パディントン発4時50分』(1957)を連想させるし、同作に影響を与えた可能性もあるだろう。カルト的な儀式の描写も、マーシュ自身の初期作品“Death in Ecstasy”(1936)を連想させる。
 殺人だけでなく、ガーベル氏の正体など、謎解き的な要素もなくはないが、どちらかといえば添え物だし、さほどの意外性もない。むしろ、麻薬組織への潜入捜査という設定といい、誘拐をめぐる追跡劇といい、神秘的でエロチックなカルト的儀式といい、センセーショナル・ノヴェルと呼ぶほうがふさわしい。
 シモンズは、いかにも彼らしく、“Bloody Murder”においても、マーシュについて、性格描写の才能を評価しつつも、謎解きの制約に踏みとどまって、その才能を十分に展開しきれていない点を批判的に論評している。本作の序文でも同様の指摘をした上で、本作が謎解きから離れ、人物や場面の描写などで初期作品より成長を遂げている点を評価しており、記念すべき復刊の一冊に本作を選んだのもそうした理由からだろう。シモンズのこの評価には首肯できる面もあるが、本作をマーシュとしては特異な傍流作品と見なすか、それとも、ユニークな傑作と見なすかは、マーシュの魅力を謎解きと性格描写のどちらに重きを置いて見るかで評価が分かれそうなところではある。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ『死の序曲』

 『死の序曲』("Overture to Death":1939)は、ロデリック・アレン首席警部の登場する長編。邦訳があるので、詳しいあらすじは省くが、教区公会堂でのピアノ演奏の最中に起きた殺人を描く。
 土曜の夜、ウィントン・セント・ジャイルズの教区公会堂で、資金集めのためにアマチュア演劇が上演されることとなる。序曲を演奏するミス・アイドリス・カンパヌラが、ラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調を弾き始めるが、新たに購入されたピアノにはリボルバーが仕掛けられていて、彼女は観客の見ている前で頭を撃ち抜かれて絶命する。本来、演奏を担当するはずだったミス・エリナー・プレンティスが指を痛めたため、直前になってミス・カンパヌラと交代していたことから、狙われていたのは実はミス・プレンティスだったのでは・・・という展開。
 本作は、一時期、マーシュの代表作として挙げられることが多かった。ジェームズ・サンドーの名作表(1946)、ヘイクラフト=クイーンの里程標(1952まで)、ジュリアン・シモンズ選の「サンデー・タイムズ」ベスト100(1957-58)は、いずれもマーシュの作品として本作を選んでいる。その後の主要なリファレンス・ブックでは、メルヴィン・バーンズの“Murder in Print”(1986)が、“Artists in Crime”、『ランプリイ家の殺人』、“Died in the Wool”、『道化の死』と並んで本作を挙げている。
 比較的最近のリファレンス・ブック等ではあまり見かけなくなったし、シモンズも“Bloody Murder”では本作に言及していないが、上記バーンズがマーシュの後期作について、「味わいのある登場人物を造形し、巧妙な謎解きを構築する能力はほとんど衰えなかった」と述べているように(以前紹介したロバート・バーナードも同様のことを述べている)、これは、マーシュが後年になっても筆力の衰えが目立たず、むしろ1950年代以降に円熟味の増した佳作が多いこととも無関係ではないだろう。
 ピアノとリボルバーの仕掛け自体は、メカニカルで大したものではないのだが、本作の評価が高いのは、リボルバーをピアノに仕掛ける機会のあった人物を絞り込むプロット構築の綿密さや、登場人物の錯綜した人間関係の描写などに見るべきものがあるからだろう。我が国にありがちな傾向だが、殺人のトリックだけに焦点を据えて評価するという、視野狭窄な捉え方をしてしまうと、海外における評価の高さは理解し難いかもしれない。
 ただ、残念なことに、1959年に出た邦訳は、原書と照らし合わせてみると首を傾げる箇所が多いし、訳文の古さもあって非常に読みにくく、原作の味わいが十分伝わりきらないうらみがある。我が国でさほど注目されてこなかったのは、こうした訳の問題もあるのかもしれない。
 なお、殺人の序曲となる、ラフマニノフの前奏曲嬰ハ短調は、クラシック・ファンにはよく知られた名曲で、クレムリンの鐘の音に着想を得て作曲されたことから、日本では「鐘」というニックネームでも親しまれている。フィギュア・スケートの浅田真央選手がフリープログラムで用いた曲(管弦楽編曲版)としてご存知の方も多いだろう。
 「鐘」は、リストのピアノ曲「ラ・カンパネラ(鐘)」でも知られる通り、イタリア語で‘Campanella’という。この曲を弾いて殺害される被害者の名を「カンパヌラ(Campanula)」としたのも、しばしばタイトルに工夫を凝らす、マーシュらしい隠し味ではないだろうか。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ “Artists in Crime”

 “Artists in Crime”(1938)は、ロデリック・アレン警部の登場する長編。アレンはこの作品で、のちに妻となるアガサ・トロイと出会う。

 ニュージーランドを舞台にした前作『ヴィンテージ・マーダー』の事件を解決したあと、イギリスへの帰国途上にある船上のアレンを描くところからストーリーは始まる。アレンは同じ船に乗り合わせていた画家のアガサ・トロイと出会う。
 トロイは、帰国後、自宅のタトラーズ・エンド・ハウスで、パリやオーストラリアなど各地から集まってきた住み込みの生徒たち八人に絵画を教えていた。九月の朝、トロイが離れのアトリエに行くと、生徒の一人、マームジーが他の生徒たちに自分のスケッチを見せながら、愛人の妻に殺される女のストーリーを話していた。その妻は木のベンチの下から掛け布に隠れたナイフを突き出し、女の愛人が女をベンチに座らせる時に刺し殺すというストーリーだった。
 生徒の一人、ヴァルメイが、スケッチの実習の合い間に、マームジーのストーリーが実行できるか試してみようと言い出し、物置部屋にある中国製のナイフを取ってこさせ、モデルの座る玉座に割れ目のあるのを見つけてそこにナイフを取り付け、掛け布で見えないように隠す。すると、生徒の一人で彫刻家のガーシアが、モデルのソニアに、座ってポーズを取ってみろと冗談を言い、彼女を震え上がらせる。ナイフは取り外され、再びソニアが玉座に座って実習が再開される。実習のあと、ヴァルメイは、生徒の一人、ベイジルと婚約したことを電撃発表する。
 ところが、九日後、生徒たちが再びアトリエに集まり、スケッチを始めるに当たって、いつものように、ヴァルメイがモデルのソニアを押し倒して玉座に座らせると、彼女はうめき声を発して身をひきつらせる。玉座には、以前実験した時のようにナイフが仕込まれ、彼女の背中を刺し貫いていた。そこへトロイがアトリエにやってきて、医師を呼ばせるが、ソニアはそのまま絶命する。
 事件を担当することになったアレン警部は、タトラーズ・エンド・ハウスでトロイと再会し、捜査の過程で彼女に接するうちに次第に惹かれていく。アレンは、生徒の一人、ガーシアが事件の二日前に出かけたまま行方知れずになっていることから、彼が事件の鍵を握っていると考え始める・・・。

 マーシュにとっては六作目の長編であり、初期の作品に属する。アガサ・トロイ初登場の作品であり、シリーズのファンにとっては記念すべき長編だが、純粋にミステリとして見れば月並みな出来と言わざるを得ないだろう。
 マーシュは、初期の作品より、のちの作品になるほど人物描写が巧みになり、プロットも念入りに構築され、ストーリーも起伏のある作品が多くなる。旅や演劇などの変化に富んだ舞台設定もそうだ。ジョン・ロードに似て、中間部に退屈な尋問シーンが延々と続くのがマーシュの欠点としてよく指摘されるのだが、この傾向は特に初期の作品ほど強く、そうした批判も踏まえてか、のちの作品になるほど円熟味が増して欠点の目立たない作品が増えてくるのだ。
 この“Artists in Crime”でも、中間部に来ると、いつ、どこで、何をしていたかという、容疑者や関係者たちへの尋問が延々と続き、そのたびに筆記した記録に署名を求める場面が出てきて、やれやれまたか、といううんざりした気持ちにさせられる。最初に読んだ時は、マーシュの作品をそれほど読んでいなかったこともあり、あまり意識しなかったが、中後期の作品を知った後で改めて読み返すと、さすがに落差を感じずにはいられない。
 ミステリ作家は、初期の作品ほど水準が高く、のちの作品になるほど質が衰えていくことが多いのだが、これはマーシュには必ずしも当てはまらない。特に初期の『アレン警部登場』や『殺人者登場』などはいかにも習作の感が強い。ところが、残念なことに、我が国におけるマーシュ作品の紹介は比較的初期の作品に偏っていて、中後期にかけてのバラエティ豊かな秀作群の多くが未紹介のまま放置されている。
 トロイも、この初登場作では、性格もまだ十分に彫琢されていなければ、個性も発揮していない印象があり、むしろシリーズを通じて尻上がりに魅力を増していくようなところがある。アレンは本作でトロイに向かって、いかにも控えめな愛の告白をし、ここでは残念ながら実を結ばないのだが、次作“Death in a White Tie”で結ばれることになる。本作はストーリーやプロットとしては凡庸の域を超えないが、シリーズを楽しむ上では必読の作品だ。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ “Death in a White Tie”

  “Death in a White Tie”(1938)は、ロデリック・アレンが登場する7作目の長編。

 上流階級の人々を狙った恐喝事件が相次いでいた。レディー・イヴリン・カラドスもその被害者の一人だった。
 クラシック音楽のチャリティ・ショーがマースドン・ハウスで行われる予定だった。それはレディー・カラドスの娘、ブリジェットの社交界デビューのパーティーでもあった。恐喝犯は、そのパーティーの際に、コンサート・ルームの青いソファに500ポンド入れたバッグを置いておくよう要求してきた。
 ブリジェットは、レディー・カラドスが、最初の夫、パディ・オブライエンとの間に儲けた娘だったが、その出生には秘密があった。パディには妻があったが、彼女は結婚直後に発狂し、パディは彼女をオーストラリアの精神病院に残したままイギリスに帰国。その後知り合ったイヴリンと結婚し、ブリジェットを儲けたが、パディの妻はその時まだ存命中だった。パディは妻が死んだという連絡を受けた直後に事故死。その後、イヴリンは、現在の夫、ハーバート・カラドス卿と結婚したのだが、彼女は、ブリジェットにも現在の夫にも、その秘密を隠したままだった。恐喝犯は、その秘密をどこからか入手し、レディー・カラドスに金を要求してきたのだ。
 ロデリック・アレン首席警部の指示に従い、レディー・カラドスは、要求どおり金を手渡す段取りをする。アレンは、友人のロバート・ゴスペル卿に、その恐喝犯を捕えるために協力を求める。ゴスペル卿は、どんなパーティーにも気軽に顔を出すことで知られていて、怪しまれずにパーティー会場で犯人を突き止められると考えたからだ。
 弦楽四重奏団の演奏のさなか、ソファに置かれたバッグを男が持ち去るのをゴスペル卿はその目で捉える。恐喝犯を突き止めたらしいゴスペル卿は、マースドン・ハウスからスコットランド・ヤードにいるアレンに電話をかけるが、その途中で何者かが電話室に入ってきたらしく、卿はそれが誰なのかを言わないまま、これからヤードに行くと告げて電話を切る。
 その数時間後、ヤードに着いたタクシーの運転手からの連絡で、アレンはタクシーの中に息絶えたゴスペル卿を発見する。ゴスペル卿は、マースドン・ハウスからヤードに向かうタクシーの中で、隣席の同乗者にシガレット・ケースで頭を殴打され、意識を失ったところを口と鼻をふさがれて窒息死させられたらしかった。謎の同乗者は途中で降車し、運転手もその容貌をはっきり覚えていなかった。
 アレンは、ゴスペル卿を捜査に巻き込んだ自責の念に駆られつつも、犯人逮捕の決意を固める・・・。

 本作のペーパーバック等のカバーには、「ナイオ・マーシュの“Death in a White Tie”は、私がこれまでに読んだ最高の推理小説である」というダシール・ハメットの言葉がよく刷り込まれている。その出典もハメットが称賛した理由も寡聞にして知らないが、マーシュの初期作品の中ではかなり水準の高い作品なのは間違いない。
 ストーリー展開は、例によって中間部で関係者への尋問シーンが延々と続くため、だれて仕方ないし、マーシュの長編の中でも比較的分量の多い長編だけになおのことうんざりさせられるのだが、それを補って余りあるほど、大団円では見事などんでん返しの連続を演出している。
 借金の件で叔父のロバート卿と言い争っていたドナルド、自分の妻を恐喝している犯人がロバート卿だと疑っていたハルカット・ハケット将軍など、有力容疑者にも事欠かないし、マーシュらしい綿密に組み立てられたプロットも堅実で好ましい。
 なお、アレンはこの事件で再びアガサ・トロイと出会い、今度は最後にめでたく結ばれる。しかし、トロイ自身は出番も少ないし、事件の中で特別な役割を演じているわけでもない。トロイがアレンを袖にした前作“Artists in Crime”の経緯を踏まえて、本作で二人を結ばせる演出をしたのだろうが、いささか余計なサブプロットの感がなくもない。むしろ、トロイが彼女らしい個性を発揮し、ストーリーに魅力的な彩を添えるようになるのは中後期の作品に入ってからだろう。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ナイオ・マーシュ “Death and the Dancing Footman”

 “Death and the Dancing Footman”(1941)は、ロデリック・アレン首席警部が登場する長編。

 詩劇作家のオーブリー・マンドレイクは、ドーセット州クラウディフォールドの「ハイフォールド荘」の主人、ジョナサン・ロイヤルに招かれ、ある実験の計画を打ち明けられる。ジョナサンは、ほかに七人の客を週末の自邸に招く予定であり、それぞれの客は互いに因縁のある関係だという。彼らを一堂に会させた上で緊張した状況を作り、そこで演じられる生身の人間ドラマからマンドレイクに創作のヒントを与えてやるというのだ。
 七人の客とは、サンドラ・コンプライン夫人とその息子のウィリアムとニコラス、ウィリアムの婚約者のクロリス・ウィン、整形外科医のフランシス・ハート、美顔術師のエリーゼ・リセ、同じく美顔術師でジョナサンの親戚のハーシー・アンブリントンだった。
 コンプライン夫人は二十年ほど前に外国で整形手術を受けたが、手術は失敗し、容貌を醜く損ねてしまっていた。ハートはオーストリアから帰化した医師だったが、実はその手術を執刀した整形外科医だった。
 ウィリアムとニコラスの兄弟は性格も対照的で不仲であり、クロリスはかつてニコラスと婚約していたが、今はウィリアムの婚約者となっていた。クロリスは浮気しがちなニコラスを見限って婚約を解消したのだが、ニコラスのほうはマダム・リセに思いを寄せていた。さらに、ハーシーは商売敵のマダム・リセに顧客を奪われ、彼女のことを「海賊」と呼んで毛嫌いしていた。
 初めは相手に気づかなかったコンプライン夫人とハート医師も、かつての医師と患者だと互いに気づくなど、次第に状況は耐え難いものになっていき、滞在を切り上げようと考える者も出てくるが、折しも降雪が始まり、邸は雪に閉ざされてしまう。
 その矢先、マンドレイクが何者かに背後から押されてプールに突き落とされるという事件が起きる。どうやらマンドレイクはニコラスか誰かと間違って狙われたらしかった。さらに、ニコラスの部屋のドアに、仏像がまぬけ落としで仕掛けられ、ニコラスが腕に負傷する事件も起きるが、頭に直撃していれば命にかかわるところだった。
 そして、ついに殺人事件が起きる。ウィリアムがニュージーランド産の石作りの棍棒で頭を殴られて殺されているのをハーシーが発見する。ウィリアムのいた喫煙室は、図書室と居間、玄関ホールにドアで通じていた。死体発見の直前まで、図書室には、ジョナサン、ハーシー、クロリス、マンドレイク、ニコラスがいて、居間にはハート医師がいた。図書室にいた人々はウィリアムが喫煙室でラジオをつけ、音楽やニュースの音が流れてくるのを聞いていたためアリバイがあり、居間に一人でいたハート医師が犯人として疑われる。
 しかし、ラジオのつくのが聞こえる前に、従僕のトマスが酒のグロッグを図書室に持っていき、再び玄関ホールに出た際に、ハート医師が居間を出て二階に上がっていく姿を目撃していた。トマスはラジオから聞こえてきた「ブーンプス・ア・デイジー」というダンス音楽に惹かれて、ホールで思わず一人で音楽に合わせて踊っていたという。音楽がニュースに変わるとトマスはホールから立ち去ったが、ハーシーが図書室から喫煙室に入ってウィリアムの死体を発見したのは、トマスが立ち去ったほんの数分後だった・・・。

 本作は、ロバート・エイディの“Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”にも取り上げられているように、不可能興味の横溢する謎が取り入れられているが、密室ものというより、アリバイものと言ったほうが正確だろう。
 マーシュの長編で不可能興味を盛り込んだ作品としては、以前も触れたように、ほかに“Death at the Bar”、“Swing, Brother, Swing”、『道化の死』があるが、犯罪のトリックとして見る限りでは、これらの中では本作が最も魅力に乏しいもののように思える。シンプルさと大胆さが光る後二者に比べると、ありきたりな機械的トリックにすぎないからだ。
 トリック偏重の視点で評価すると(我が国にありがちな傾向でもあるが)、マーシュ作品の中でも突出した作品であるかのように錯覚しそうになるかもしれないが、リファレンス・ブックなどを参照しても、やはり海外でもさほど注目されてはいないようだ。
 ただ、視点を切り替えて、全体のストーリーやプロットに注目すると、この時期以降のマーシュの作品には、中間部で退屈な尋問シーンが延々と続くパターンから脱却しようと努めた跡がよく窺えるし、本作も例外ではない。ストーリーは、孤立状況における特殊な人間関係をベースに展開し、一触即発の緊張感が持続していくため、だれることがない。殺人そのものは三分の二近くまで来てようやく起き、アレンの登場とその捜査もそこから始まるため、いつもの尋問シーンは終わりのほうでようやく駆け足で描かれるだけだ。その分、アレンの存在感がやや希薄になったきらいはあるが、それを補って余りあるほどストーリー・テリングに格段の進歩が見られる。余談だが、まぬけ落としの採用といい、本作の設定はのちの“Tied Up in Tinsel”を連想させるところもあるようだ。
 プロットは手堅いものの決して独創的とは言えないが、全体としてはまずまずの佳作として評価できる作品ではないだろうか。
 なお、タイトルの“Death and the Dancing Footman”は、シューベルトも作曲の題材にした「死と乙女」(Death and the Maiden)をもじったものと思われる。「死と乙女」はもともと中世の「死の舞踏」(Dance of Death)のモチーフに由来する芸術の題材であり、従僕のダンスが死と隣り合わせのものであることをこのタイトルから連想させるようにしているのだ。いつもながらマーシュはタイトルの付け方が実にうまい。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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