脱線の余談――底本にはご注意

 我が国における海外ミステリの紹介は翻訳に大きく依存しているわけだが、翻訳書を手にする際、翻訳そのものはもちろんのこと、実は、どの版を底本にしているか、ということも、翻訳を手がけたことのある者としては非常に気になる問題だ。
 以前の記事でも書いたが、クリスティの『三幕の悲劇(三幕の殺人)』、『動く指』は、英版と米版ではテキストに重大な異同がある。『動く指』は、明らかに英版のほうが充実した版であり、邦訳もこれを底本としているため、何の問題もない。ところが、『三幕の悲劇(殺人)』のほうは、大団円の付け方に重大な差異があり、どちらが最終形にしても、優劣を付け難い面がある。さいわい、いずれの版も邦訳が出ており、かえって読み比べる楽しみまであるのが我が国の読者にとっては嬉しいところかもしれない。ヴァン・ダインの『グリーン家殺人事件』もやはり米版と英版に異同があり、これも両方とも邦訳があるため、読み比べて違いを確かめることができるようだ。
 むしろ悩ましい問題と思えるのは、誤植などのミスや、のちの版における改訂のほうだ。例えば、単純に考えると、初版にあった誤植はのちの版では訂正されていくだろうから、初版よりのちの版のテキストのほうが正確なのでは、と思いそうになるのだが、私自身の経験では必ずしもそうではない。
 フリーマンの長編は、新しいところでは、バタード・シリコンのオムニバスやハウス・オブ・ストラータス社のペーパーバックが出ているが、英初版のテキストと比較すると、これらには植字上のミスが散見されるし、『キャッツ・アイ』の推敲をしていた時も、バタード・シリコンのテキストにわけの分からない変更があちこちに施されているのに気づいて当惑させられたものだ。ハウス・オブ・ストラータス社版が、“Felo de Se?”の標題の終わりのクエスチョン・マークを省いて“Felo de Se”と勝手に変えていることも海外のサイトで指摘されているが、これも意味不明の改変と言わざるを得ないし、つぶさに確認したわけではないが、おのずとテキストも疑わしく思えてくる。
 やはり作家の出身国の初版のほうが正確である場合が多いようで、『オシリスの眼』では、アメンエムハト四世というエジプトのファラオが、米初版ではなぜかアメンホテプ四世になっていたりと、とんでもないミスが生じているし、ほかにも妙な誤植や誤りがあちこちにあるのに気づいた。ロードの『代診医の死』でも、米初版で首を傾げる箇所にぶつかって英初版を確認すると、誤植だと分かった個所もある。
 初版に入っていた図面や写真等がのちの版で省かれることも珍しいことではない。フリーマンについては、このブログの記事でも解説してきたが、クリスティをはじめ、ほかの作家でもしばしば見られる現象だ。アリンガムの長編もそうで、これは翻訳者の小林晋氏も解説で述べていて、底本選びに苦心されたことが窺える。翻訳者とは本来、こんな問題でも悩んだり、調べたり、探したりしなくてはいけないものなのだ。
 だからというので、初版に依拠すれば安心かというと、そうでもなく、のちの版で著者が新たに序文を加筆したりしている場合もあるから要注意だ。例えば、これも以前の記事で解説したが、クリスティがのちのペンギン・ブック版で加筆した序文は、必ずしも邦訳に採り入れられているわけではない。クロフツの『樽』にものちの版に著者序文が加筆されているが、これを採り入れた邦訳は新訳も含めて一つもない。
 さらにややこしいのは、著者自身が改訂版を出している場合だろう。以前の記事でもご紹介したとおり、クリスティの戯曲にも、のちにテキストが改訂されているものがある。長編の場合と同様、たいていは改訂後のテキストのほうが充実・改善しているものだが、差別用語の削除などは判断に迷うところ。時代背景の理解とともに、著者自身の本意と言えるかどうかという問題もあるからだ。
 フィリップ・マクドナルドも改訂版をしばしば出した人で、『迷路』は明らかに改訂後の版のほうが充実していて、邦訳もこれに基づいている。他方、『ライノックス殺人事件』は、初版等で随所に挿入されていた、読者への注意喚起の‘Comment’がのちの改訂版では省かれてしまい、奇抜な趣向がやや後退してしまっているのだが、創元社の邦訳では、あとがきで改訂のプロセスを解説して読者に便宜を図っているようだ。
 ヘレン・マクロイも、1970年代に英ゴランツ社から出た版を参照すると、初版にはなかった章題を加筆したり、章の区切りを変更したりと、あちこち改訂を加えていることが分かる。さらに、これはマクロイ自身も語っていることだが、大戦前後に書かれた作品は、のちの版で戦争に関連した時局的な言及を省略・変更するなどの改訂を加えている。例えば、“Who’s Calling?”では、1973年のゴランツ社版を見ると、ヒトラーやナチス、敵国側のプロパガンダ活動、戦時の品不足など、第二次大戦関連の言及が全体にわたって削除・変更されているのが分かる。一例を挙げると、モロウ社の米初版の最終頁には、‘Fort Hancock in the Army Medical Corps’という、明らかに戦時を連想させる場所の言及が出てくるのだが、ゴランツ社版では、‘Johns Hopkins’と、今もある医学で有名な大学の名前に変更されている。
 この点については、マクロイ自身が、こうした改訂を行ったことは間違いだったとのちに語っていることを踏まえると、むしろ改訂前のテキストを選択するのが、著者の最終的な意図に即した対応ということになるだろう。リファレンス・ブック等によっては、“Panic”に1972年の改訂版があることしか言及していないが、これは、同書の改訂版でマクロイ自身が序文を寄せてわざわざ説明しているからで、実際はほかに幾つも改訂版があるから要注意なのだ。ちなみに、近年になって邦訳の出た『小鬼の市』と『逃げる幻』は、いずれも初版にはない章題が入っているので、ゴランツ社版等ののちの改訂版を底本にしているのだろう。
 ついでに言うと、若干気になるのは、改訂版を底本に選択したこと自体は判断の問題なのでとやかくは言えないのだが、改訂版の刊行が1971年以降だとすると、この版をベルヌ条約の「10年留保」に該当するものと考えていいのか、という疑問が浮かぶこと。もし改訂版が初版とは別物という整理になるなら、翻訳権を取得せずに刊行しているのは問題ではないかということになるのだが、この点は著作権に詳しい人に聞いてみないと分からない。
 (ちなみに、さらに脱線になるかもしれないが、『逃げる幻』の原題は、“The One That Got Away”。これは、釣り関連でもよく使われる言葉で、「逃がした魚(大物)」の意。‘The one that got away is always bigger.’と言えば、日本のことわざと同じで、「逃がした魚は大きい」という意味になる。購買意欲をそそるタイトルにするために、訳書に原題とまるで違うタイトルを付けることは珍しくないので、「逃げる幻」という、分かったような分からないようなタイトルも、ある意味、仕方ないと思わぬでもない。しかし、本文となると、事情は違う。ネタばれになりそうだが、作中でもシングル・クォート(かっこ)で囲われて何度も出てくるこの表現は、「逃げた大物」とは誰なのかという謎の提示によって、犯人の意外性をそれだけ際立たせる効果を持っているのだ。これを「逃亡捕虜」のようにべたっと訳すと、せっかくのニュアンスが生きてこないのだが、気づいた限りでは、残念ながら訳に生かされているとは言えないし、かっこも省かれて目立たない言葉になっている。せめて訳注か解説でもあればと思ったが、あとがきにも原題の意味についての説明はないようだ。)
 底本にどれを選ぶか、複数のテキストを前にしてどう取捨選択するか――これは翻訳者を悩ませる(あるいは、本来悩まなければならない)重大な問題なのである。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ヘレン・マクロイ『家蠅とカナリア』

 蠅つながりでこの作品にも触れておこう。『家蠅とカナリア』(1942)は、ベイジル・ウィリング博士が登場する5作目の長編だ。創元文庫の邦訳は1965年のリプリント版に寄せられたアンソニー・バウチャーの序文も併せて載せているが、バウチャーの意見と同じく、一般にマクロイの代表作とされている『暗い鏡の中に』よりも本作のほうを高く評価したいところだ。というより、自分がマクロイの魅力に取りつかれたきっかけは本作だったといってもいい。
 これもストーリーの詳細は省くが、サルドゥー原作の『フェドーラ』の公演を控えた劇場の近くにある刃物研磨店に押し入った強盗が何も取らずにカナリアを鳥籠から逃がすという不思議な事件が起き、いよいよ開演した舞台では、衆人環視の中で大胆にも殺人が起きるという展開。家蠅の手がかりは現実には成り立たないという意見もあるらしいが、カナリアの手がかりは実に秀逸で、シンプルながらもその心理学的な手がかりの独創性に舌を巻いたのは今も忘れられない。
 シリーズ中でも、心理学上の専門知識を謎解きのファクターとして最も鮮明に応用し、精神科医探偵としてのウィリング博士がその個性を典型的に発揮した傑作としては、夢遊病をモチーフにした“The Man in the Moonlight”や、おそらくはミステリ史上初めて(心理学的意味での)多重人格をテーマにし、ドゥードゥルの分析やポルターガイスト現象などを取り上げた“Who’s Calling?”などのほうを推すべきかもしれない。しかし、『家蠅とカナリア』は、「犯人はなぜカナリアを籠から逃がしたのか?」というシンプルな謎の提示が独創的であり、そのシンプルさゆえに解決の鮮やかさが一段と際立っているし、専門的な知識のない読者でも腹に落ちる分かりやすさがある。
 後期作品ではサスペンスものを中心に書くようになった作風からも窺えるように、ストーリーを盛り上げるサスペンスフルな描写の巧みさもマクロイの特長の一つで、本作でもクライマックスでは緊張感の高い見せ場を演出している。さらに、マクロイのミステリでもう一つ特筆すべきは、容疑者の範囲の狭さだ。黄金期の作家の作品には、読者を惑わすために容疑者の数をやたらと水増しし、名前を覚えるのも一苦労するような例も多いのだが、マクロイはそんなことをしない。容疑者一人ひとりの性格やアリバイなどをじっくり検討しながら謎解きの楽しみを味わうことができる反面、見抜かれるリスクもそれだけ高いわけだが、彼女の作品は、綿密でツイストの効いたプロット構築によってしばしば読者を出し抜くだけの高い水準を保っている。
 “1001 Midnights”で本作を取り上げているロバート・E・ブライニーは、「古典的なフェアプレイ探偵小説の典型的見本」とし、ジグソーパズルのピースを当て嵌めるように手がかりがぴたりとまとまる複雑な構成を称賛して、『暗い鏡の中に』と並んで傑作を意味するアスタリスクを付しているが、これは本作だけではなく、マクロイの他の作品にもしばしば当てはまる評価と言えるだろう。
 サルドゥーの戯曲『フェドーラ』は、今日ではほとんど忘れられた作品かもしれないが、男装を好んだ往年の大女優、サラ・ベルナールが舞台で着用した中折れ帽子は、欧米では今日でも「フェドーラ」と呼ばれ、その名を残している。
 私の所有している原書はウィリアム・モロウ社の米初版だが、原題は“Cue for Murder”でも、ダスト・ジャケットのデザインは邦題と同じく家蠅とカナリアをモチーフにしている。シンプルだが素敵なデザインだ。


Cue for Murder

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ヘレン・マクロイ “A Question of Time”

 マクロイの作品は、1960年代以降になるとサスペンスの占める割合が大きくなるが、“A Question of Time”(1971)は、そんな中にあってマクロイが謎解きに回帰した作品の一つだ。

 1961年の正月、ソフロニア・ホランドは、十三歳になる孫娘のエリザベッタをイタリアから我が家に迎え入れることになった。ソフロニアの息子、ルパートは、イタリアにいる間に自動車事故で死亡していたが、車にはビアンカという妊娠中の女性が同乗していて、ルパートは即死したものの、女性は無意識のまま二日生き延び、帝王切開で娘を産んだ後に死亡していた。
 生まれた娘は修道院に預けられだが、その一年後、二人の婚姻記録が見つかり、娘はルパートの子と推定された。ソフロニアは、息子が結婚の事実を自分に知らせてこなかったことが心に引っかかり、本当にその娘が自分の孫なのか内心疑っていた。
 ソフロニアには、ほかに孫が二人いた。娘のアメリアとその夫ヒュー・エヴェレットが、舞踏室を通じて行き来できる隣家に住んでいて、彼らには娘のスーザンと息子のロリーがいたのだ。
 ソフロニアの家にやってきたエリザベッタは、彼らの家に行くため、その舞踏室の前まで来ると、叫び声を上げる。彼女は、その部屋には以前来たことがあるし、自分が中に入れば死ぬことになると言う。初めてアメリカに来た彼女がその部屋を見たことがあるはずはなかったが、彼女は怖がって決して舞踏室に入ろうとはしなかった。
 スーザンはエリザベッタと同い年、ロリーは三つ年下で、エリザベッタが英語を話せることも知り、彼女をリサという愛称で呼んで親しくなる。近所には、ペレアスとメリサンドというヘロン家の双子の兄妹、画家志望のジムという青年もいて、十代同士の彼らはたちまち親しくなる。
 みんなでアイススケートをして遊んだあと、ロリーに勧められるままに、リサは彼らと一緒に舞踏室に足を踏み入れるが、振り向いた途端、気を失ってしまう。呼ばれた医師は、イタリア語を話せる医師としてアルフレッド・ネローニ博士を一緒に連れてくる。
 ネローニは、舞踏室の入り口の上に、子どもを食らうサトゥルヌスを描いたゴヤの絵が掛けてあるのに気づき、リサが気を失ったのは、その絵に怯えたせいではないかと示唆するが、ヒューは、シャンデリアをつけない限り、ゴヤの絵は見えないはずだと否定する。
 リサがアメリカでの生活になじみ、英語も上手に話せるようになった頃、イタリアから手紙が届く。それは、彼女のイタリアの祖父母が判明し、彼らが孫娘の引き取りを要求しているという弁護士からの連絡だった。
 10年後、リサは、祖父の死に伴って、アメリカに戻ってくることになり、ロリーは空港で彼女を出迎える。仲の良かったロリーたちと思い出話を語りつつも、なぜか彼女は自分が舞踏室を恐れたことも、気を失ったことも憶えてはいなかった。
 10年前にみんなでアイススケートを楽しんだ時に、ジムが撮影したフィルムを観たあと、彼らは舞踏室に入る。ペレアスとメリサンドはリサにいたずらを仕掛け、彼女が舞踏室に入った途端、彼女一人を中に閉じ込めて鍵をかけ、その鍵を窓から外に捨ててしまう。
 リサはここから出してくれと激しくドアを叩くが、その衝撃でドアの上の壁に掛けてあったゴヤの絵が落下し、彼女の頭を打ち砕いてしまう・・・。

 マクロイのシリーズ・キャラクターといえば、ベイジル・ウィリング博士が最もよく知られているが、二人目の探偵として、『小鬼の市』と『ひとりで歩く女』に登場するミゲル・ウリサール署長を挙げているリファレンス・ブックや解説も幾つかある。彼らと対照的に、ほとんど言及されることがないのだが、実はマクロイには三人目のシリーズ・キャラクターがいる。それが本作に登場する、アルフレッド・ネローニ博士だ。
 ネローニ博士は、イタリア系ではあるが、生まれ育ちも含めてれっきとしたアメリカ人で、イタリア語も年長じてから習得したものだ。本作のあと、“The Sleepwalker”(1974)にも登場し、主役を務めたのは『ひとりで歩く女』だけのウリサール署長よりも、もっと注目されてもよさそうなものだが、意外と知られていない。
 その理由は、おそらく、マクロイの1960年代以降の作品がサスペンス系に重心を移したというだけでなく、出来栄えもそれ以前の作品に比べると著しく落ち始め、この頃の作品になると注目度が下がっていたということもあるのだろう。これは、1961年にマクロイがブレット・ハリデイと離婚したことと無関係ではないと思われ、その後、作品発表にも大きなブランクが生じたりしている。ウィリング博士の登場する作品もめっきり減り、その妻、ギゼラが『割れたひづめ』を最後に姿を消し、その後は故人という扱いになってしまうのも、仲睦まじいウィリング夫妻を描くのが難しくなってしまったからではないだろうか。
 ウィリング博士のシリーズは、長編では『割れたひづめ』(1968)から『読後焼却のこと』(1980)まで12年のブランクがあり、短編を考慮に入れても、“Pleasant Assassin”(1970)から“A Case of Innocent Eavesdropping”(1978)まで8年のブランクが生じている。
 ネローニ博士は、いわば、ウィリング博士が不在だったこのブランク期間に、新たなシリーズ・キャラクターとしてマクロイが構想した探偵役だったと見ることもできる。既に所帯持ちになってしまったウィリング博士より、青年医師を新たに創造するほうが当時のマクロイには抵抗がなかったのかもしれない。精神科医と明示されてはいないが、心理学的な分析を交えながら論じるところは、ウィリング博士の分身と言っていいほど区別がつきにくいし、なかなか魅力的なキャラクターでもある。
 この青年医師の創造のおかげで、やや精彩を欠くサスペンス群の中にあって、彼の登場する二作は、比較的出来のいい本格作品に仕上がっている。本作については、“The Mystery Lover’s Companion”のアート・ブアゴウが、「巧妙かつ細心でフェアなプロット」と好意的な評を与えているし、“The Sleepwalker”は、H・R・F・キーティング編“Whodunit?”で、“Panic”、『暗い鏡の中に』と並んで採点の対象に挙げられている。
 なお、本作で用いられたプロットは、ほんの数年後に刑事コロンボのある作品でも用いられている。当時よく知られた手法だったのかもしれないが、本作を参照した可能性もあるだろう。



A Question of Time

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ジャンル : 小説・文学

ヘレン・マクロイ “The Sleepwalker”

 “The Sleepwalker”(1974)は、マリアン・タンセイという女性の一人称で進行していく。サスペンス仕立てではあるが、謎解きとしての骨格を有する長編だ。

 中古品安売り店に勤めるマリアン・タンセイは、三年間の月賦で新車を購入しようとするが、店舗で対応したディック・ラングという青年は、支払い能力を確かめるため、彼女の仕事や生活環境を根掘り葉掘り聞く。彼女には払える頭金もなければ、下取りに出せる中古車もなく、両親のことを聞かれても死んだとしか言えず、結局、販売を断られてしまう。
 マリアンは、ディックと再び出くわす。マリアンは、自分の勤める店を経営しているルース・ハヴィランドの家に間借りしていたが、ディックはルースが空き部屋の入居者を募集していると聞き、自分が借りることにするという。
 マリアンは、ルースの援助を得て新車を購入し、その最初の土曜、愛犬のバートを連れて、新車に乗って海辺にピクニックに出かける。ところが、翌朝、車庫に来ると、車の停車位置がずれていて、アクセルやブレーキに足が届かないくらい座席がうしろに下がり、灰皿にたばこの吸い殻が三本ある上に、エンジンをかけると、ラジオから音楽が鳴り出し、スイッチが入ったままになっていることに気づく。彼女はたばこが大嫌いだったし、前日きれいに洗ったはずなのに、フロントガラスには鳥の糞が付いていたことから、何者かが夜間に勝手に車を運転していたと知る。
 車庫の鍵を持っているのは、ルースのほかに、その息子のビルと妻のドーラがいたが、マリアンには彼らがそんなことをするとは信じられなかった。事情を聞いたディックは、車庫の鍵の付け替えをルースに頼むよう彼女に勧める。
 その矢先、ビルは夜中に車庫のドアが開く音で目を覚まし、車庫に降りてみると、マリアンの車のエンジンがまだ温かいことに気づく。翌朝、ビルとマリアンは車に何か隠されていないか調べるが、車に大きなへこみができているのに気づき、再び何者かが夜間に車を借用して運転していたことが分かる。
 ルースの家の屋根裏部屋にドナルド・スティーヴンスという男が入居してくるが、彼はレベッカ・シェルビーという恋人も一緒に連れてきていた。レベッカは、マリアンが勤める店に来て、万引きの現場をマリアンに見とがめられた女性だった。レベッカは盗癖のある女で、万引きの前科もあったが、ルースはマリアンと一緒に彼女を店で働かせることにしたという。
 ディックは、車庫の鍵を付け替えるまでに一日間があくことから、その晩だけ、車庫でマリアンの車を見張っていることにした。ところが、その夜、マリアンが夢遊病状態で車庫に向かうところをビルが見つける。実は、マリアンは二年前からの記憶しか持たず、自分の本名も知らない記憶喪失者だった・・・。

 レベッカが、自分が盗んだ商品を早朝こっそり返しに来たところを狙撃主に射殺されるという、肝心の事件は後半に入ってからようやく起き、展開にややもどかしいところはあるが、車をめぐる謎やマリアンの過去の秘密と夢遊病が織りなすサスペンスのおかげで、それほどだれることなくストーリーが進行していく。プロットの構築や伏線の張り方もまずまずだ。
 本作には、“A Question of Time”(1971)のアルフレッド・ネローニ博士が、再び探偵役として登場している。精神科医ではないと本編中ではっきり書かれているのだが、催眠術によって記憶を取り戻す試みをマリアンに勧めたり、夢遊病や多重人格について解説するなど、ウィリング博士の分身と言っていいほど、個性も探偵術もそっくり。事実上の代役だ。もっとも、祖父がイタリアから移住してきたという出自が、謎解きで重要な役割を演じている。
 ネローニ博士は、“A Question of Time”で親しくなった登場人物の女性と、本作では既に結婚したことになっているが、“Alias Basil Willing”(1951)で描かれるウィリング夫妻のような、べったりと仲睦まじい描写はない。ウィリング博士も、妻ギゼラの死後、ボストンに移住したことになっているが(“The Long Body”ではコネティカット州在住だった)、ネローニ博士もボストン在住。実は、マクロイもブレット・ハリデイとの離婚後、ボストンに移住していて、こんなところからも、ウィリング博士ともども、ネローニ博士にもマクロイ自身の個人史がなにほどか反映していることが窺える。とはいうものの、それでも、ネローニ博士を既婚者に設定する余裕が持てるほど、この頃のマクロイは離婚のショックからかなり立ち直っていたのだろう。実際、作品の出来も決して悪くない。
 夢遊病は、マクロイが“The Man in the Moonlight”(1940)、“The Long Body”(1955)でも繰り返し用いてきたテーマだが、本作でも謎解きのファクターとして効果的に用いられている。1950年代までに書かれた、目もくらむような傑作群と比べるのは酷だが、同じテーマでも、“The Long Body”よりは謎解きとして読み応えがある。
 本作は、H・R・F・キーティング編“Whodunit?”の「代表作採点簿」に、“Panic”、『暗い鏡の中に』と並んで挙げられ、その二作と比べてもほとんど遜色のない点数を与えられている。選択のバランスから考えても、後期の代表作と捉えたのだろう。(もっとも、“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは辛口の評を与えている。)
 短編集“The Pleasant Assassin and Other Cases of Dr. Basil Willing”(2003)に序文を寄せているB・A・パイクが、マクロイの傑作として挙げているのは、“Who’s Calling?”、“Panic”、『逃げる幻』、『ひとりで歩く女』、『暗い鏡の中に』、“Alias Basil Willing”、『幽霊の2/3』、『割れたひづめ』だが、『家蠅とカナリア』が抜けているのを別にすれば、概ね他のリファレンス・ブックなどとも一致する妥当な選択だろう。この中で、1960年代以降の作品は『割れたひづめ』だけで、後期の作品がいかに出来栄えの落差が大きいかが、こんなところからも窺える。
 ネローニ博士の登場する二作は、これらの傑作群と比べるとやや弱いかもしれないが、まずまずの出来栄えであり、もっと注目されてもよさそうだ。ウリサール署長を「二番手」の探偵として挙げているパイクが、この「三番手」の探偵に言及すらしていないのは(他のリファレンス・ブックもそうだが)、いかにも不当というものだろう。


Sleepwalker

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

ヘレン・マクロイ『歌うダイアモンド』

 マクロイの短編集『歌うダイアモンド』(1965)が創元社から文庫化された。「東洋趣味」、「カーテンの向こう側」など、9編(原書は8編)を収めた粒ぞろいの素晴らしい短編集だ。邦訳解説にはなぜか言及がないようだが、「クイーンの定員」にも選ばれている。
 マクロイの短編集としては、ベイジル・ウィリング博士の登場する全短編を収めた“The Pleasant Assassin and Other Cases of Dr. Basil Willing”(2003)もある。ご参考に、後者の収録作品を挙げておこう。

 Through a Glass, Darkly(1948) 鏡もて見るごとく
 The Singing Diamonds(1949) 歌うダイアモンド
 The Case of the Duplicate Door(1949) 消えた頭取(エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン1965.5)
 Thy Brother Death(1955) 強襲戦術(エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン1960.5)
 Murder Stops the Music(1957) ピアノが止んだ時(ミステリマガジン1978.7)
 The Pleasant Assassin(1970)
 Murder Ad Lib(1964) 殺人即興曲(エラリイ・クイーンズ・ミステリマガジン1967.6)
 A Case of Innocent Eavesdropping(1978)
 Murphy’s Law(1979)
 That Bug That’s Going Around(1979)

 両短編集で重複しているのは、「鏡もて見るごとく」と「歌うダイアモンド」の二編だけであり、『歌うダイアモンド』は、SFやサスペンスも含めたマクロイの幅広い芸域をカバーしている点で、今なお独自の存在意義を有する短編集だ。別れた夫、ブレット・ハリデイによる序文も興味深い。特に邦訳は、中編「人生はいつも残酷」を併録しているところが心憎いサービスといえる。
 「人生はいつも残酷」は、邦訳解説にもあるように、本来は1949年に雑誌掲載された中編だが、1951年にデル・ブックスというペーパーバックの叢書から単独で刊行されている。他のマクロイの長編の多くもデル・ブックスでペーパーバック化されているが、このデル・ブックスは、バックカバーに犯行現場などの詳しく分かりやすい見取り図を載せているのが特徴で、「マップバックス」と呼ばれて読者から親しまれた。
 ベイジル・ウィリング博士のシリーズは、長編13、短編10という、意外とボリュームの少ないシリーズなのだが、密度の濃さは尋常ではなく、読破してしまった時、(もうこれ以上ないのか)と茫然とする思いがしたものだ。
 『歌うダイアモンド』の収録作については、邦訳解説が委曲を尽くして紹介しているので、ここで二番煎じの解説をするのは避けるが、その収録作からも窺えるように、マクロイには、非シリーズものにも多様性に富んだ素晴らしい作品が幾つもある。単行本未収録の短編も幾つか残っているようだし、ウィリング博士の登場作も含め、第二弾の邦訳短編集が出るのを期待したいところだ。
 ウィリング博士の長編リストも参考まで以下に掲げておこう。

 Dance of Death(1938) 死の舞踏(論創社)
 The Man in the Moonlight(1940)
 The Deadly Truth(1941)
 Who’s Calling?(1942)
 Cue for Murder(1942) 家蠅とカナリア(創元社)
 The Goblin Market(1943) 小鬼の市(創元社)
 The One That Got Away(1945) 逃げる幻(創元社)
 Through a Glass, Darkly(1950) 暗い鏡の中に(創元社)
 Alias Basil Willing(1951)
 The Long Body(1955)
 Two-Thirds of a Ghost(1956) 幽霊の2/3(創元社)
 Mr. Splitfoot(1968) 割れたひづめ(国書刊行会)
 Burn This(1980) 読後焼却のこと(早川書房)



『暗い鏡の中に』米初版
『暗い鏡の中に』米初版

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

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