フィリップ・マクドナルド “The Wraith”

 “The Wraith”(1931)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第6作。(5作目は『迷路』。邦訳は早川書房刊。)
 発表順としては6作目だが、語られる事件は『鑢(やすり)』以前の1920年に遡り、時系列としてはゲスリン最初の事件ということになる。ゲスリン夫妻のもとを訪れたトラーという友人が、これまで公になっていない事件を語ってほしいとゲスリンに懇請し、これに応じてゲスリンが語り出すという設定。ゲスリンが一人称で語る本文の合間に、時折、ゲスリンとトラーや妻ルーシアとの会話がイタリック体で挿入され、節目ごとに解説が施されるという構成になっている。

 当時のゲスリンは、ハイ・フェンという小村の下宿付き酒場に住み込み、第一次大戦で受けた足の傷も十分癒えておらず、遺産を相続する前で金もなく、売れる見込みのなさそうな本の執筆に精を出していた。
 ハイ・フェンには「フライデーズ」という屋敷があり、ジョン・マンクスという癌研究者が、妻のジョーンと助手のグリムズデイルと住んでいた。屋敷には、ジョーンのいとこ、アーサー・ニールスンと、彼女の兄、ウィリアム・ニールスンも同居していた。
 敷地の一画にある小屋は、アルフレート・ゲオルギウス・ヘストという人物が借りていたが、ヘストは大戦で重症を負い、左足に矯正靴、曲がった指を隠す手袋、プレートをはめ込んだ頭頂を隠す縁なし帽という痛々しい身なりで、たくさんの猫とひっそりと生活していた。
 ヘストの飼い猫が次々と惨殺されるという奇妙な事件が起きたあと、ゲスリンも夕食会の客として招かれていたある晩、屋敷の離れ屋でジョン・マンクスが射殺されているのが発見される。その後、ヘストが検死官宛にしたためた手記が見つかり、そこには、猫を殺した犯人がジョンと思い込み、恨みを晴らすために殺したが、ジョンの殺害後にも別の猫が殺されているのを見つけ、自分の間違いに気付いたという告白が書かれていた。
 ヘストは自殺をほのめかしていて、ゲスリンはラドック警部とともに、ヘストが自殺を図ったと思われる沼の縁まで山を登って赴くが、そこにはヘストの縁なし帽や矯正靴、アルパカのコートなどが置いてあるのが見つかる。その後、ウィリアムとアーサーの証言で、彼らが不審な様子のヘストのあとをつけていったことを知るが、彼らも沼の縁まで追いかけ、そこでヘストの姿を見失ったという・・・。

 タイトルは「幽霊」を意味するが、‘ghost’、‘apparition’、‘spook’など、もっと一般的な単語がほかにあるのに、‘wraith’という滅多に見ない単語を使っているのがまず気になる。実際、この作品でも、本文中でこの単語が出てくるのは、後にも先にもたった一度。だが、その一か所で、なぜこんなレア・ワードを敢えて使ったのか、作者に意図があったことがそれなりに理解できる。
 一人称の語りに会話をイタリックで挿入するという趣向に加え、第5章では、ゲスリンが自分の語りをまるで記述のように節に分けるという手の込んだ構成をとっている。しかし、この作品のプロットは、そんな構成上の趣向より、アリバイを組み合わせたフーダニットの工夫に眼目があると思われる。ただ、その工夫の構想自体はうまく組み立てられているのだが、現実視点で考えれば、どこまで実行可能性があるか疑問を抱かずにいられず、この作者によくあるパターンながら、思いつきのアイデアを十分練り上げないままプロットに組み込んだ感がある。
 作者自身もそれを自覚していたのか、ゲスリンが謎解きを説明する部分で、トラーが穴のありそうな点にしばしば鋭い突っ込みをし、ゲスリンがその穴を埋める説明を繰り返すはめになる。そんな風に取り繕えば取り繕うほど、付け焼刃のプロットだという印象がかえって強まってしまうのがつらいところだ。とはいうものの、そこまで厳しめにプロットの首尾一貫性を追求しさえしなければ、それなりに独創的で面白いアイデアであることは確かで、この作品を評価する向きがあるのも分からなくはない。
 なお、マンクス(Manx)にはマン島原産とされる尾のない猫の意もあり、タイトルや名前などの設定に作者の遊び心や意図が隠されているのも、この作品の趣向の一つといえるかもしれない。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

フィリップ・マクドナルド “The Choice”

 “The Choice”(1931)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第7作。
 英米両版を含めて、“The Polferry Riddle”、“The Polferry Mystery”という異なるタイトルがある。
 ロバート・エイディが“Locked Room Murders”で取り上げているように、本作は密室物の一つと見なされている。マクドナルドの密室物といえば、ほかに『フライアーズ・パードン館の謎』(1931:邦訳は原書房刊)や“The Crime Conductor”(1931)も同年に書かれていて、この頃、作者は不可能犯罪のトリック創出に関心を示していたようにも思われる。

 ウェセックス州ポルフェリーにある「ウォッチ・ハウス」は、海に面した断崖の上に建つ邸宅であり、癌研究者のリチャード・ヘイル=ストーフォード博士が妻イヴと一月前から住んでいた。夫妻は半年前に結婚したばかりだった。
 九月のある日、「ウォッチ・ハウス」には、博士夫妻のほか、イヴの妹ミリアム・ロシター、博士のいとこジョージ・アンストルーサー、イヴの友人スーザン・カー、家政婦のドロシー・グレイ夫人が滞在していた。そこへ、たまたま眼下の浜辺にボートを乗り上げた博士の旧友バナー大佐と雇い人のラルフ・トレンチャードが博士に招かれて加わった。
 博士、バナー大佐、トレンチャードの三人は、イヴやほかの客たちがみな就寝のため部屋に引き取ったあとも、書斎でずっと話し込んでいたが、ふとイヴの部屋が水漏れを起こしているらしいことに気づく。三人が部屋に入ると、イヴは喉をカミソリのようなもので切り裂かれて死んでいた。
 凶器と思われるものは部屋に見当たらず、明らかに殺人と思われたが、その時、「ウォッチ・ハウス」はすべて戸締りがなされ、番犬も二匹いたことから、外部からの侵入者による犯行の可能性は考えられなかった。書斎から一歩も出なかったヘイル=ストーフォード博士、バナー大佐、トレンチャードの三人にはアリバイがあり、容疑者は、ミリアム、アンストルーサー、スーザン、グレイ夫人の四人に絞られたが、いずれもイヴを殺す動機があるとは思えなかった。
 その二か月後の十一月、ミリアムが交通事故で死亡し、翌年四月には、アンストルーサーがボート事故で溺死を遂げる。さらに、スーザン・カーも、交通事故や乗馬事故で危うく難を逃れるという事件が続く。
 最初に事件が起きた時はルーカス副総監の要請を断って家族でスイス旅行に赴いたゲスリン大佐だったが、滞在先の新聞でその後の事件を知り、不審を抱きはじめる・・・。

 この“The Choice”は、ゲスリン大佐物の中でも最も毀誉褒貶の激しい作品であり、これほど評価が極端に分かれる作品もほかにないと思われる。
 例えば、“A Catalogue of Crime”のバーザンとテイラーは、「明らかにゲスリン物の最悪作品の一つ」と評し、邦訳『鑢』であとがきを書いている小林晋氏も「完全な失敗作」としている。
 ところが、その一方で、“The Encyclopedia of Murder and Mystery”のブルース・F・マーフィーは、「実に巧妙で、驚愕の結末によってすべてが人を惑わす燻製のニシンだったように見えてしまう」と高い評価を与え、“The Oxford Companion to Crime and Mystery Writing”でマクドナルドの項目を執筆しているマーティン・エドワーズも、「黄金時代の標準に照らしても巧妙かつ非凡なプロット」と称賛している。
 この極端な評価の違いは何に由来するのだろうか。それぞれの評者の見方を勝手に忖度するわけにはいかないが、読んでみれば、ある程度は見当がつく。
 まず、この作品を密室のトリックという視点で評価するとどうなるか。イヴ夫人の死に関するトリックだけを取り上げて評すれば、大抵の読者が「馬鹿にするな」と言いそうな、あっけにとられる代物と言わざるを得ない。我が国には密室やアリバイなどの不可能犯罪のトリックを重視する読者層が比較的厚いと思われるので、もしこの作品が紹介されれば、まずはそうした評価で一刀両断にされそうだ。
 だが、上記の評者たちは必ずしもそんなトリック重視の視点で捉えているわけではなく、作品のプロットを総体的に見ての評価を提示しているように思える。問題は、そのあっけにとられるトリックとともにイヴ夫人の死の真相が明らかになった時、それまでの事件の推移を遡及的に振り返ってみて、これをどう捉えるかにかかっている。
 人によっては、その真相の開示によって、事件の推移全体もあまりに間の抜けた、馬鹿馬鹿しいものに思えてしまうだろうし、全く逆に、その因果関係に恐ろしいまでの悲劇と運命の皮肉を看取する人もいると思うからだ。そのどちらに傾くかで、この作品への評価は真っ二つに分かれるのではないかと思う。その意味では、この作品はゲスリン大佐物の中でもちょっとした問題作と言えるかもしれない。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

フィリップ・マクドナルド “The Crime Conductor”

 フィリップ・マクドナルドの“The Crime Conductor”(1931)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第8作目。
 タイトルは「犯罪を招き寄せる者」の意で、ホイレイク医師との会話の中で、疫病神が憑いているように犯罪に巻き込まれるとゲスリンが話すのを受けて、医師がゲスリンのことをそう呼ぶところから来ている。

 ゲスリン大佐が、妻ルーシアのいとこ、トラヴァース・ホイレイク医師の家を訪れていた晩、警察官がやってきて、近くの邸で入浴中に溺死した者がいるので、医師に来てほしいと告げる。ホイレイク医師はただの事故とみて、ゲスリンを残して一人で現場に赴くが、不審を抱いた医師は家に戻り、ゲスリンにも来てほしいと頼む。
 被害者は演劇界の大事業主として知られるウィリントン・シグスビー。シグスビーはその夜、俳優や同業の事業主などをゲストに招いて自邸でパーティーを開いていたところだった。浴室は密室状態、死因は溺死で、右のこめかみに打撲傷があったことから、バスタブで足を滑らせ、頭を蛇口にぶつけて意識を失い、そのまま湯の中で溺死したように見えた。
 しかし、ゲスリンは、蝋でドアに細工した跡があることや、タオルやスリッパ、バスマットや石鹸などの用意もなく、脱衣して椅子に置かれたと思われる衣服の順序も不自然なことなどから、事故に偽装した殺人と見破る・・・。

 例によって、この作家らしい構成の趣向が際立つ作品で、全体を三部に分け、第一部は‘Elemental’として事件の背景や発端の描写、第二部は‘Documental’としてゲスリンがスイスに滞在中の妻ルーシアに宛てた手紙を通じての捜査状況の説明、第三部は‘Quod Erat Demonstrandum(証明終わり)’として大団円と謎解きを描くという全体構成をとっている。
 特に第二部が凝っていて、手紙の中で関係者を劇の登場人物のように紹介したり、自分の問いに対するパイク警視の調査回答を項目仕立てにしたり、自分が見聞きしたわけでもない関係者のやりとりを想像で劇の脚本風に再構成したりと、手の込んだ趣向を取り入れている。ところが、形式が凝っている割に内容は貧弱で、わざわざそんな形式を用いる必然性に乏しく、単に趣向のアイデアを形にしてみただけという感が強い。
 全体として見ると、この作家に時折見られるやっつけ仕事の典型で、明らかに頁数を稼ぐための埋め草的な描写や締まりのない会話のやりとりが目立つなど、いかにも消耗品的に書かれた作品という印象がある。ゲスリン物の中では最悪の部類に入る作品ではないだろうか。これに比べれば、悪評の高い前作“The Choice”のほうがよほどましと思えるほどだ。
 なお、本作はロバート・エイディの“Locked Room Murders”で密室物として取り上げられているが、密室の謎自体は極めてありきたりで特に見るべきものはないし、すぐに種明かしされて、作者自身も重きを置いているようには思えない。
 人気俳優のラーズ・クリスタニア、謎めいた秘書のエドワード・ヴィッカーズなどの登場人物たちも、上っ面だけの描写で深みがなく、魅力に乏しい。結局のところ、思いつき的な趣向のアイデア以外には何の取り柄もない駄作で、お勧めできる点がほとんどないのが残念。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

フィリップ・マクドナルド “Rope to Spare”

 フィリップ・マクドナルドの“Rope to Spare ”(1932)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第9作目。
 本作はゲスリン大佐物の中でも最も入手困難な作品とされ、そのためか、意外と言及されることの少ない作品だ。バーザンとテイラーの“A Catalogue of Crime”も挙げていないし、ロバート・エイディの“Locked Room Murders and Other Impossible Crimes”にしても真っ先に取り上げそうなものなのに、なぜか漏れている。
 しかし、プロットの独創性という点では、ゲスリン大佐物の中でもトップクラスであり、慎重に練り上げた全体構成を合わせて考えると、『鑢』や“The Link”以上の出来栄えで、ゲスリン物のベストと言っていい作品だ。

 ゲスリンは、ある難事件の解決に当たって敗血症にかかり、生死の境から回復して退院し、とある田舎の宿屋に滞在して静養していたが、彼女の問題を嗅ぎまわるなという匿名の手紙を受け取り、その送り主と思しき人物から謎の電話もかかってくる。車に鳩の死骸を投げ込まれるいたずらも起き、思い当たる節のないゲスリンは、手紙の内容を手がかりに、近隣にある「コーナーズ」という邸を訪れる。
 「コーナーズ」には、考古学者のエイドリアン・コンウェイ、妻のローズマリー、戦争で両足を失い、車椅子生活を送る弟のフェリス・コンウェイ、エイドリアンの助手を務める医師のジョージ・デラフィールド、召使いのリングが住んでいた。
 ゲスリンが手紙のことをエイドリアンに話すと、同じ送り主からと思しき中傷の手紙はローズマリー宛てに過去に何通も届いていたことを知る。エイドリアンが妻に事情を話し、ゲスリンにその手紙を見せようと取りに行くと、正面玄関のベルが鳴り続ける。不審に思ったゲスリンが、行ってドアを開けると、それは召使いのリングで、顔を鈍器のようなもので叩き潰されて死んでおり、死体が玄関口にもたれかかって肩でベルを押し続けていたのだった。
 散歩で外出していたデラフィールド以外は残り全員が邸内にいたことから、警察はいったんデラフィールドに嫌疑を向けるが、犯罪歴のあるジプシー一家が近隣をうろついていたことが判明し、彼らの犯行と断定する。しかし、ゲスリンはコンウェイ家の犬が吠えなかった事実から、犯行は外部の人間によるものではないことを示唆する。
 だが、悲劇はそれで終わらなかった。今度は、エイドリアンが、化粧室のドアのU字くぎにロープをかけて首を吊って死んでいるのが発見される。足元に丸椅子が倒れていたことから、自殺と思われたが、ゲスリンは、椅子を立てても自殺者の足が届かないことに気づき、殺人であることを見抜く。さらに、弟のフェリスも、ベッドで頭を撃たれて死んでいるのが発見される・・・。

 先行する“The Choice”や“The Crime Conductor”は、いかにも安易に書き飛ばした印象の強い作品で、分量も薄身だったが、それすら埋め草をちりばめて長編の体裁に仕立てたのではないかと思えるほどだった。
 ところが、この“Rope to Spare”はうって変わって分量も重量級になり、それも決して余計なサブプロットで水増しした結果ではなく、全体のプロットをよく練ったまとまりの良さと緻密さを感じさせる。中傷の手紙の謎、美貌の妻ローズマリーの過去、コンウェイ家の人間関係など、さまざまな要因が絡み合いながら、それぞれが決してばらばらではなく、結末に向けて必然的に収斂していくところも見事で、アイデア倒れでプロットに一貫性がないといういつもの欠点が、この作品については目立たない。それどころか、慎重に考え抜かれた全体のプロット構成はマクドナルドの作品の中でも随一と言っていいほどだ。
 この作家によく見られる構成上の奇抜な趣向は本作ではむしろ影を潜めている一方で、ゲスリンの論理的な推理の展開が随所で光る点も好印象だ。トリックという点で捉えても、不可能犯罪を扱ったマクドナルドの作品の中でも最も独創的であり、アガサ・クリスティが中期の傑作で用いたトリックを先取りしているだけでなく、フーダニットの意外性にも効果を上げている。
 マクドナルドの密室物の代表作としてよく挙げられる『フライアーズ・パードン館の謎』は、アイデア自体も短編ネタ程度のものだったし、用い方も必然性や説得力に乏しく、全体としてもサブプロットで水増しした感のある作品だった。エイディをはじめとする諸批評家が、『フライアーズ・パードン』を称賛する一方で、(多少強引さはあるものの)全体のプロットもより充実し、トリックとして見てもずっと独創的と思えるこの“Rope to Spare”に言及しようとしないのは不思議でならない。
 ここからはあくまで推測だが、アイデア倒れという汚名を返上しようとしたかのように構成を練ったのはいいが、その反面、プロットがやや複雑になり過ぎた印象もあり、分量もそれに応じて増大した結果、玄人好みではあっても一般にはとっつきにくい作品になってしまい、それが入手困難作と化した一因のような気もする。批評家の網からも漏れ、不当に無視されてきたのも、案外そんなところに理由があるのかもしれない。
 これからマクドナルドを読もうという人には、プロットもシンプルで分かりやすい『鑢』や“The Link”などのほうがお勧めかもしれないが、“Rope to Spare”は、マクドナルドの代表作の一つというだけでなく、黄金時代の傑作と比較しても遜色のない出来栄えであり、埋もれた傑作としてもっと認知されていい作品だと思う。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

フィリップ・マクドナルド “Death on My Left”

 “Death on My Left”(1933)は、アントニイ・ゲスリン大佐物の第10作目。

 ストーリーは、ボクシングのライトヘビー級世界チャンピオン、アルバート(キム)・キンナードが、彼のために設けられたトレーニング場所のリングの中で首の骨を折って死んでいる場面から始まる。キンナードは、トランクスやシューズを身につけていたが、なぜかグローブははめていなかった。
 そこから場面は過去に遡り、テントで格闘技の見世物を興行していたレオポルド・ぺトラスがキンナードを見出し、ボクサーとして育てていく過程が描かれる。
 ぺトラスは、ふと足を踏み入れたスラム街の通りで、不良少年たちが喧嘩しているところに出くわす。一人の少年が五人を相手に戦っているのを見て、ぺトラスは思わずその少年に声援を浴びせ、少年はぺトラスとともに相手を撃退する。ぺトラスはキンナードというその少年が気に入り、自分に付いてくれば、闘うことで金儲けができると誘い、少年の保護者だった義理の叔父の了解も得て連れて行くことになる。少年は、ぺトラスの指導を受けながらボクサーとして頭角を現していくが・・・。

 章題は、第一部「結果」、第二部「原因」、第三部「問い」、第四部「答え」となっていて、第一部でキンナードの死体が発見される場面、第二部でキンナードがボクサーとして成長し、成功していく過程、第三部では、関係者の証言から事件の前後関係が明らかになる検死審問の場面、第四部でゲスリンによる事件の解決を描くという構成をとっている。
 原因と結果が倒置され、冒頭の死体発見の場面からにわかに過去に遡るところから、同じ作者が『ライノクス殺人事件』で用いたプロローグとエピローグの逆転という趣向を本作でも取り入れたと見る向きもあるようだが、実のところ、そんな意図があったとは考えにくい。
 『ライノクス』の場合は、文字どおり、事件の発端となるエピソードを最後に描いて、冒頭の謎をそこで初めて明らかにするという手法をとっているのだが、本作では、死体発見の場面を冒頭に持ってきただけで、あとは通常の時系列で描かれているし、その場面を冒頭に持ってきたことにより、謎を一層不可思議に見せる効果を上げているとまではいえないからだ。
 むしろ、これは映画で用いられる「フラッシュバック」の手法を取り入れたものであり、作者が本作執筆以前にハリウッドに渡って映画脚本家として活動した経験を活かしたものと見るべきだろう。例えば、ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」と比較してみれば構成の類似に気づくはずだし、オスカーを獲った映画でも、デビッド・リーン監督の「アラビアのロレンス」はロレンスの事故死シーン、リチャード・アッテンボロー監督の「ガンジー」もガンジーの暗殺シーンから始まるという具合で、映画ではおなじみの手法だ。推理小説でも、クロフツの『クロイドン発12時30分』のように、同様の手法を取り入れた作品はほかにもある。
 喧嘩やボクシングのシーンなど、場面のリアルな描き方にもハリウッドで得た経験が反映されていると思われ、個々の場面の迫力や臨場感にはそれなりに読み応えがあるが、全体としてのプロットはお粗末としか言いようがない。象牙の骨とう品を売っていた謎の船乗りの存在や、キンナードが死んだと思われる深夜に重い金属のようなものが落下した音が聞こえたという謎なども、思わせぶりに提示される割には消化不良のまま尻すぼみに終わってしまっている。まるで、事前にプロットを練ることなく、場当たり的に執筆していったのではないかとすら思えるほどだ。
 なにより致命的なのは、ボクシングのチャンピオンだったキンナードがなぜ首の骨を折られるほど簡単にやられてしまったのかという一番肝心の謎をきれいに処理できなかったことで、残念ながら、出来栄えとしてはゲスリン物の中でも最低の部類に入ると言わざるを得ないようだ。

テーマ : ミステリ
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

S・フチガミ

Author:S・フチガミ
お問い合わせ等は
fuhchin6491
(アットマーク)
hotmail.co.jp
へどうぞ

カテゴリ
フリーエリア
天気予報
リンク
検索フォーム
アクセスカウンター
RSSリンクの表示